Archive for 2012年8月12日
トライアンフ乗りの自分的バイク史(その1)
2012年8月12日最近はあまり乗ることのなくなってしまった愛車トライアンフ...。
2002年製の10年車です。走行距離はまだ24000キロ。走る人だったら1年で走っちゃう距離です。
こんな自分が長い年月を経てこのバイクに行き着いた歴史を振り返ってみたいと思います。
内容は過去に書いた記事を分割再編集して掲載していきます。
あと、自分は走り屋系と言うよりはファッション系のバイク乗りですので、一般的なバイク好きの方とは若干趣が異なります。
まあ、自分のバイク熱を少しでも復活させるための記事ですのでご勘弁ください。
●序章
オートバイに興味を持ったのはやはり映画の影響だ。小学校の時に見た「大脱走」、映画に凝ってた中学生の頃に見た「イージーライダー」「乱暴者」あたりでやられたのだと思う。子供の頃に見た映画の影響力はとてつもなく大きい。大人になってからだと、いわゆる名作と言われる映画は見る前にいくらかの情報が入ってしまっている。子供の頃だとそういったノイズが入らず、ストレートにその映画の感動を堪能できる。
中でも影響力MAXだったのが「イージーライダー」。
アメリカンニューシネマの金字塔であるこの映画は、自由の国アメリカの暗の部分を描いた作品だが、子供にはそんな難しいことは到底理解できず「このバイクなんてかっこいいんだろう」てな部分だけが脳みそに焼き付けられた。
そんなわけで自分にとってのバイクはレーサータイプの走り屋バイクはではなく、チョッパースタイルのアメリカンやクラシックスタイルのバイクが基本だ。
●1977年頃
~初めてのバイクはヤマハのミニトレGT50
17才の夏休みに原付免許取得&バイトして買ったバイクだ。確か中古で5万円位だったと思う。結局このバイクでは2度も事故って、2回目は腕の骨まで折ったので数ヶ月の付き合いだったような気がする。
エンジンのかかりが悪くて50回位キックしてもかからず、家の前の坂で押し掛けしてかけていた。
あまり思い出は無いのだけれど一度江ノ島から横浜まで走った事があった。当時はまだ本牧に米軍基地があった頃。初めて感じたアメリカの空気に感動した記憶がある。
そのころはノーヘルOKだったってのもあるかもしれない。
でも今でもこのバイクの影響か、この手のオールドモトクロッサータイプのバイクが大好きだ。トライアンフのスクランブラーなんかも同じような形しててかなり気になる。
250cc位でこんなのないかな?
●1979年頃
~次に買ったのがホンダのロードパルS
これをバイクと呼ぶかは別として、本当はミニトレの後は中型免許取ってアメリカンタイプの400ccに乗りたいなんて思っていた。
だが事故って骨まで折っちゃったもんだからなかなかやりづらくなって、この頃オバちゃんからヤンキーまで大人気だったこのタイプを買った。当時はこれよりヤマハのパッソルの方が人気があったが、べスパやソレックスが好きだったのでソレックスに似た形のロードパルを選んだ。
★ヤマハのパッソルとソレックス
このバイク(?)にはたくさん思い出がある。通学時の駅までの足から遊びまで毎日フルで乗っていた。
海にもよく行った。1979年の夏に江ノ島で開催された「Japan Jam」にもこれで行った記憶がある。
※ジャパン・ジャムとは1979年8月4日、神奈川県・江ノ島 特設会場(約3万平方メートル)を皮切りに開催された、世界最大級の屋外コンサート。当時の出演アーティストの顔ぶれからも、第2のウッドストックと呼ぶにふさわしい規模のロックイベントであったことが伺える。
そんなんで高校生の頃は貴重な移動手段だったロードパルだったが、大学に入ると車がメインになってだんだん乗る回数が減ってきた。またずいぶんこき使ったのであちこちボロが出てきて1983年頃廃車になった。
●ブランク①
このあと車が中心となり長いブランク期間に入る。大学時代には仲の良かった友達がバイク好きで、たまにケツに乗せてもらうような事もあったが、その友達はロードバイク派だったためまったく影響を受けることも無く、30才近くになるまでバイクにはまったく興味がなかった。
ただこのブランク期間中ヤマハのSR400に乗りたいなんて思ったことが何度かあった。(思っただけだが…。)
~ その2に続く
♪Music Life♪ ラジオ関東「全米トップ40」の想い出
2012年8月10日全米トップ40は、ラジオ関東(現ラジオ日本)で毎週土曜の深夜に放送されていた、最新ビルボードTOP40を紹介するラジオ番組だ。 ディスクジョッキーは湯川れい子さん。加えて坂井隆夫アナ、矢口清治さん、チャッピーこと山本さゆりさん、スヌーピーこと今泉惠子さんなど、今でも業界で活躍されている方たちが出演していた。
中学から高校にかけて、自分はこの番組を聴きながら毎週チャートをつけることに夢中になっていた。 全米トップ40を聴くようになったきっかけは今でもよく憶えている。
中学の3年生の頃(1976年)、Deep Purple、Led Zeppelin、Cream、当時人気絶大だったKiss、Aerosmithなどのハードロックに夢中になっていた。そんな時、甘ったるいポップスやポピュラー音楽にはほとんど無関心だった自分が、180度方向転換するきっかけとなる出来事があった。
いつものように寝る前に深夜放送を聴こうとラジオをつけたら、流れてきたのは甘ったるいメロディ。 いつもだったら即座にチューニングを変えるのだが、なぜかその時はその甘く切ないメロディに引き込まれていった。そして自然と涙が...。
Chicagoの「If You Leave Me Now 」(愛ある別れ)という曲だ。
曲が終わった後DJが紹介した曲名とアーティスト名を控えて、翌日レコード屋さんにシングル盤を買いに走った。それからは毎日この曲ばかり繰り返し聴いてたのを覚えている。そしてそのシングル盤に「全米No.1ヒット!」と書かれていたのが全米チャートに興味を持つきっかけとなった。
インターネットもない当時、関東地方でリアルな全米チャートを知るには、
①銀座のイエナ書店等に依頼し、Billboard誌の空輸便を年間購読する。
②FEN(米軍極東放送・810MHz)を聴く。
③ラジオ関東(現ラジオ日本)で放送していた「全米トップ40」を聴く。
たぶんこのどれかしか方法はなかったと思う。この中で①は購読料がたしか年間4~5万円位かかったと思うので到底無理。②は英語が分からないのとチャートが1~2週遅れの放送だった。 で、必然的に③の選択となった。
全米トップ40を聞き始めてからは、以前の様にハードロックを聴く事は少なくなり、急速にアメリカンポップスに目覚めていった。ジム・クロウチやバリー・マニロウなど、この番組がなかったら出会う事のなかっただろうアーティストも多い。
初めて聞いた時のNo.1は、6週連続No.1をとったRod Stewartの Tonight’s The Night だった。 ちなみにこの時(1976年11月13日付)のTop10は、
10位 Do You Feel Like We Do / Peter Frampton
9位 The Rubberband Man / The Spinners
8位 Just To Be Close To You / Commodores
7位 If You Leave Me Now / Chicago
6位 Rock’n Me / Steve Miller Band
5位 Muskrat Love / Captain & Tennile
4位 Love So Right / Bee Gees
3位 The Wreck Of The Edmund Fitzgerald / Gordon Lightfoot
2位 Disco Duck / Rick Dees & His Cast of Idiots
1位 Tonight’s The Night (Gonna Be Allright) / Rod Stewart
ラジオで聞いた曲名、アーティスト名をとりあえずカタカナで書き取り、後からMusic Lifeや週刊FMに載っていたTop100チャートを見てノートに清書する、といった作業は3年位続いた。
チャートをつける楽しみ、いい曲を探す楽しみ、最新の音楽情報を知る楽しみ。 音楽を聴く事が何より好きだったあの頃の自分にとって、全米トップ40は忘れられない想い出だ。
こういった音楽の聴き方をしていたため、同世代の音楽好きと話をしても噛み合わない事も多い。
大抵の人は ”アーティスト→アルバム” といった単位で話すが、自分の様にチャートを追いかけていた人間は ”アーティスト→曲” といった単位で考える。実際シングル盤ばかり買ってたので、アルバムはあまり聴いていないのだ。
だが、アルバムから何枚シングルカットされたとか、何週1位になったとか普通の人があまり知らないような事をよく知っている。特に一発屋アーティストとかはかなり詳しい
逆に、何かのきっかけで当時の同好の士に出会うと、情報のソースが限られていたためか、同じ本を買っていたり、同じラジオを聴いてたりでびっくりするくらい共通点が多い。そういった人とは苦労を共にした戦友みたいなもので、すぐ打ち解けた関係になる。
今思うと当時は今の情報化社会と違って、何かを好きになっても情報を集めることは本当に至難だった。
今のように無限にあるソースから自分にあったものをチョイスするというのも便利だけど、やっぱあの頃みたいに手探りで探していく方が楽しいと思う今日この頃。
PS. 番組の最後に湯川さんがいつも言っていた言葉、
「来週まで地面にちゃんとあんよをつけて、星に手をさしのべて待っていてくださいね」
もう一度聞いてみたいな。
♪Music Life♪ Tom Robinson Band / 2-4-6-8 Motorway (1977)
2012年8月9日この曲は1977年の曲なんだけど、シングル盤を買ったのはもっと後だった気がする。
77年といったらピストルズとかクラッシュと同時期か。このバンドも初期パンクムーブメントの一員だったのですね。
ストレートでキャッチーなメロディ。今でもよく聴く曲です。
PS. このロゴマークかっこいい。
海のそばに住むこと
2012年8月5日
海のそばに引っ越したのは93年頃だったと思う。ふとしたことがきっかけだった。
湘南にドライブに行って鎌倉高校前あたり(上の絵のあたり)を走っていた時、海沿いに建つ家を見て「こんな所に住んだら毎日波乗り天国で楽しいだろうな」とふと思ったのが始まりだ。
すぐに家探しに取り掛かり1ヵ月後には横浜から鵠沼のアパートに引っ越した。
最初の海のそばの家は、国道134号線沿いにある鵠沼海浜公園(当時は鵠沼プールガーデンだった)の真ん前の2DKアパート。
鵠沼海岸のポイントまで歩いても3分位、まさにサーフィンするには絶好のロケーションだ。
ここでの生活は快適だった。
早朝の波チェックで波が良ければ通勤前に朝サーフィン。週末はビーチクルーザーで海沿いをのんびりサイクリング。夏場は友人もたくさん訪れ、海辺でバーベキューと本当に楽しい毎日だった。
だが結局この家に住んだのは半年位だった。134号線沿いという事もあり夏は暴走車の騒音に悩まされ、さらに隣人はキチガイ!
どうにも我慢できず引越しを決意した。
最初の家はロケーションは最高だったのだが、ろくに研究もせず安易に場所を選んで失敗した。
そのため2番目の家探しは慎重に行った。騒音を考えると鵠沼よりもっと大人の街が良い。
また、通勤を考えると江ノ島から茅ヶ崎の間が良い。となると辻堂か茅ヶ崎か。
いくつか物件を見てまわり、最終的に茅ヶ崎の東海岸南にある2DKに決定。ちょうど茅ヶ崎駅と海の中間地点あたりで、海までは歩いて10分ほど。好きなポイントの裏パークまではそこから海沿いをさらに10分ほど歩く。だがチャリンコを使えば家からポイントまで10分程なので問題ない距離だ。
この家に住んでいた時期が海そば生活を一番満喫していた時期かもしれない。ご近所さんも同年代で同じ様な趣味嗜好を持つ人が多かったし、気になっていたローカル問題も波のサイズが上がった時を除けば特に気にすることはなかった。
ここには出来る限り長く住んでいたかったが、4年ほど経ってとうとう引っ越す事になった。
2番目の家を引っ越したのは単に財政上の問題だ。
茅ヶ崎は駅から海側は人気が高く家賃も高い。ひとり者で特に部屋数も必要ないため家賃が安かった新築の1Kに引っ越した。
引越し先の中海岸は鉄砲通り沿いにあり、海までの距離は以前の家とそう変わらない。だが前の家は雄三通りという茅ヶ崎でもメジャーな通り沿いにあり華やかな雰囲気だった。それに比べ中海岸は地味で海そば生活的にはちょっとつまらなくなった。サーフィン的にも好きなポイントの裏パークやチーパーまではかなり遠くなり、しょうがなく海水浴場ポイントでやることが多くなった。
また、この頃から茅ヶ崎の街自体が大きく変化してきた。自分と同じ様に海そば生活に憧れて引っ越してくる人が多くなり、特に駅前周辺から雄三通りにかけては、昔からある定食屋や飲み屋がどんどん高層マンションに変っていった。東海道線沿線で都内にもアクセスの良い茅ヶ崎に皆着目したのだろう。
マンションだらけの光景に、自分も何かうんざりした気分になっていた。
結局この中海岸の家には3年位住んだが、2000年頃仕事で関西に引っ越す事になり、8年住んだ湘南を離れる事になった。
大阪に3年ほど住み関東に帰って来ることになったが、住む場所はまた茅ヶ崎以外考えなかった。
この頃はもうサーフィンはやらなくなっていたため、特に海のそばにこだわらず部屋探しを行った。結果、1軒屋の1階部分2LDK、通勤に便利な駅まで1分の物件に決めた。
大阪に行っていた3年間でさらに茅ヶ崎は変貌を遂げていた。マンションはさらに増殖を続け、お気に入りだったBar「Bagus」もなくなっていた。海からかなり離れたことで、海そば生活感もほとんどなくなり、実際海にもほとんど行かなくなった。そうなると海のそばに住む意味もなくなり、結局3年ほど住んで2007年に実家のある横浜に引っ越した。
足掛け11年の海そば生活が終わった。
北海道ツーリングレポートをアップしました!
2012年8月1日2009年、2010年と2年続けて行ってきた北海道ツーリングのツーレポアップしました。2010年はすでに書き上げたもののまとめ、2009年は現在少しずつ書き足しているところです。
下記リンクからアクセスできます。
2009年北海道・東北ツーリング42日間の旅(現在順次執筆中)