Motorcycle

 

●序章

オートバイに興味を持ったのはやはり映画の影響だ。小学校の時に見た「大脱走」、映画に凝ってた中学生の頃に見た「イージーライダー」「乱暴者」あたりでやられたのだと思う。子供の頃に見た映画の影響力はとてつもなく大きい。大人になってからだと、いわゆる名作と言われる映画は見る前にいくらかの情報が入ってしまっている。子供の頃だとそういったノイズが入らず、ストレートにその映画の感動を堪能できる。
中でも影響力MAXだったのが「イージーライダー」。アメリカンニューシネマの金字塔であるこの映画は、自由の国アメリカの暗の部分を描いた作品だが、子供にはそんな難しいことは到底理解できず「このバイクなんてかっこいいんだろう」てな部分だけが脳みそに焼き付けられた。
そんなわけで自分にとってのバイクはレーサータイプの走り屋バイクはではなく、チョッパースタイルのアメリカンやクラシックスタイルのバイクが基本だ。

●1977年頃
  ~初めてのバイクはヤマハのミニトレGT50

17才の夏休みに原付免許取得&バイトして買ったバイクだ。確か中古で5万円位だったと思う。結局このバイクでは2度も事故って、2回目は腕の骨まで折ったので数ヶ月の付き合いだったような気がする。

エンジンのかかりが悪くて50回位キックしてもかからず、家の前の坂で押し掛けしてかけていた。

あまり思い出は無いのだけれど一度江ノ島から横浜まで走った事があった。当時はまだ本牧に米軍基地があった頃。初めて感じたアメリカの空気に感動した記憶がある。
そのころはノーヘルOKだったってのもあるかもしれない。

でも今でもこのバイクの影響か、この手のオールドモトクロッサータイプのバイクが大好きだ。トライアンフのスクランブラーなんかも同じような形しててかなり気になる。

250cc位でこんなのないかな?

●1979年頃
  ~次に買ったのがホンダのロードパルS

これをバイクと呼ぶかは別として、本当はミニトレの後は中型免許取ってアメリカンタイプの400ccに乗りたいなんて思っていた。だが事故って骨まで折っちゃったもんだからなかなかやりづらくなって、この頃オバちゃんからヤンキーまで大人気だったこのタイプを買った。当時はこれよりヤマハのパッソルの方が人気があったが、べスパやソレックスが好きだったのでソレックスに似た形のロードパルを選んだ。

このバイク(?)にはたくさん思い出がある。通学時の駅までの足から遊びまで毎日フルで乗っていた。

海にもよく行った。1979年の夏に江ノ島で開催された「Japan Jam」にもこれで行った記憶がある。

そんなんで高校生の頃は貴重な移動手段だったロードパルだったが、大学に入ると車がメインになってだんだん乗る回数が減ってきた。またずいぶんこき使ったのであちこちボロが出てきて1983年頃廃車になった。

●ブランク①

このあと車が中心となり長いブランク期間に入る。大学時代には仲の良かった友達がバイク好きで、たまにケツに乗せてもらうような事もあったが、その友達はロードバイク派だったためまったく影響を受けることも無く、30才近くになるまでバイクにはまったく興味がなかった。

ただこのブランク期間中ヤマハのSR400に乗りたいなんて思ったことが何度かあった。(思っただけだが…。)

●1990年頃 
  ~長いブランク期間を径て買ったのがヤマハのビラーゴ250

 

もうすぐ30才って頃に、もっと自分の好きな世界にドップリ浸かった生活をしようと思い立った。すぐに中型免許を取って買った初のアメリカンがこのバイク。中古で40万円位だった。ちなみに買ったのは写真のアップハンドルじゃなくバーハンドルのやつ。

基本つるしはだめな性格なのですぐにカスタム熱が沸騰!

まず

①リヤシートをはずす

②リヤショックを交換してローダウンを行った。

                       

それがこれ。

 

イージーライダーのデニス・ホッパースタイルが好みなので当然このままではおさまらず

さらにカスタムを続け…….

                       

1年後にはこうなった。

 
 

カスタムポイントは

①マフラー ②Fフォーク ③三つ又 ④前後ライト、ミラー ⑤シート ⑥ペイント

その他、もろもろ…..。

ペイントやフォーク周りは無理だったけど、自分でできる改造は全部自分でやったので、このカスタムにはかなり思い入れがあった。フェンダーを電動ドリルで穴あけたり、シートをイトノコでカットしてシングルシートにしたり。大変だったけどメチャ楽しかった。

この年公開された映画「ハーレーダビッドソン&マルボロマン」の影響もでかかった。ミッキー・ロークのハーレーは当時としてはパーフェクトなロー&ロングスタイル。

公開初日に3回続けて見ました。

当時はまだ限定解除が試験場でしか出来なかった時代なので、今みたいにオジサンのフルカスタムハーレーが街に氾濫してなかった。チョッパーもホンダのスティードやビラーゴが中心で、このバイクも街中走ってるとかなり注目されていたのを覚えている。

雑誌にも掲載された。

 

あの頃は今みたいにツーリングやバイクキャンプはほとんどやらず、もっぱら街乗り専門だった。よく行ったのが土曜の夜の第三京浜保土ヶ谷パーキングエリア。今の状況は分からないが当時はかなりの台数のバイクで駐車場が埋めつくされていた。チョッパーからレーサー仕様、ロッカーズまで多種多様、ソロで来ている人もいれば大人数の集団で押し寄せて来るのもいた。本当、見ているだけで時間を忘れるほど楽しかった。

中でもいちばんカッコよかったのがロッカーズの集団。それまでチョッパーオンリーだった自分にとって彼らのカッコよさは強烈な印象だった。今のバイクを買ったのもこの時の影響がでかい。

●ブランク②

ビラーゴとしては自分の中で完成形に近い形までカスタムし満足していたが、終わりはあっけなく訪れた。

1992年夏、会社の同僚と伊豆に一泊ツーリングに出かけ、カーブを曲がりきれずガードレールに激突! そのまま伊豆長岡の病院へ救急車で運ばれた。左足を複雑骨折し一ヶ月間入院する羽目に。バイクは事故現場に一晩置かれてたらハンドルやらシートやら盗まれて無残な姿になった。

会社や家族、周りの人たちに多大な迷惑をかけて、さすがにまたバイクに乗ろうという気持ちはおきず、再度長期のブランク期間に突入した。

ちなみにビラーゴは廃車後ずっと実家のガレージに置いてあったが2007年に処分した。

●2002年頃
  ~ホンダのフュージョンカスタムを買いそうになった

事故ってバイクに乗らなくなってから10年。仕事も会社も変わって大阪に住んでいた。

大阪には友人も無く休日とかはけっこう暇してて、何となく「またバイクに乗りたいな」なんて思い始めてた。事故からちょうど10年経ったというのも大きい。

気になってたのはその頃東京で流行ってたビッグスクーター。マジェスティやフュージョンをカスタムしたやつだ。大阪でも流行り始めていてミナミあたりではカッコいいカスタム車をちらほら見かけるようになった。早速いろいろ研究してみるとホンダのフュージョンカスタムがかなりカッコいい。もう我慢が出来ず次の休日に買う気満々でショップを訪れた。でもその店大繁盛だったみたいで対応がそっけない。その上80万の見積もり出されて気持ちが萎えてしまった。フュージョンは当時生産中止になってて新車は存在しなかった。カスタム車とはいえ250ccの中古バイクが80万は高すぎる。で、その日は買わずに帰ってきた。

がっかり気分で家に戻ってきてから買い物しようと近くのダイエーに行くと、偶然近所の教習所が出張受付をしていた。よく見るとそこに「大型二輪免許受付」の文字が。

「そうか今は大型免許が教習所で取れるんだ」

瞬間それまで考えてもみなかった「ハーレー」の文字が頭の中をよぎった。そうなるともう止まらない!パンフレットをもらってその日のうちに教習所への入所手続きをすませた。

大型免許の教習は思ったより難しくなかった。事故ってから10年間、原付さえ乗ってなかったので最初はかなり不安だったが、休日を使って約一ヶ月、何とか規定時間内で免許を取得できた。

そうなると次はバイク選びだ。車種は当然ハーレー!といきたい所だったが、この時点でちょっと迷いが出ていた。気にかけて街中を見てみるとあまりにハーレー乗ってるオヤジが多い。教習所で大型免許が取れるようになって自分と同じような考えを持った人がたくさんいたということだ。そのハーレーもみんなカッコよくカスタムされてて、いかにも「お金かかってます」みたいなのばっか。昔と違ってコツコツ作り上げたっていう感じがない。

迷っていた時に本屋さんで偶然一冊の雑誌を手にした。パラパラとページをめくってるとある写真に目が釘付けになった。

トライアンフ・ボンネビル T100

「なんて美しいバイクなんだ」

 

もともと片岡義男が好きで映画の「彼のオートバイ、彼女の島」なんかもDVDで買ってた位なので、カワサキのW3の原型みたいなトライアンフやノートンはかなり気になっていた。

新車なのにこのクラシックなスタイル。部品も日本製のパーツがかなり使われており、信頼性も高そうだ。
  ※古い自動車ばっか乗ってたため、故障に気を使うのはコリゴリだった。

また以前、第三京浜のパーキングエリアで見たロッカーズの集団のカッコよさも思い出した。

「これだ」 「これを買おう」

決断まではそう時間はかからなかった。

●2003年頃
  ~トライアンフ・ボンネビル T100を購入!

2002年の9月に神戸のカツラダモータースで契約したが、その年の3月にイギリスのトライアンフの工場が火災を起こしたとかで、結局納車されたのは2003年の1月末だった。

色は雑誌で見たのと同じオレンジ。タイミングよく100周年の記念モデルが手に入った。

グラブバーを付けただけの完全ノーマル。今回はカスタムせずノーマルでいくと決めていた。ノーメイクでも十分美しいから。ただ純正マフラーはあまりに楽しくない音だったため、3ヵ月後の点検時にこれまた純正のスポーツマフラーに交換した。(これも大して音は変わらなかった↓)

★買って間もない頃のボンネビル
 
 

今回はノーマルでいくため本体部品以外の装飾品をいろいろ買い揃えた。

★サイドバッグはデグナーの皮製。横のペットボトルホルダーを切り落として現在も使用中。

★ドラムバッグはハロルズギア。主に雨具系を収納。現在も使用中。

★タンクバッグはコロナのオールド。ヤフオクで接戦の末落札した。同じタイプの赤もその後落札。
   ※どうもボンネビルのシルエットとしっくりこず、その後両方とも手放した。

★フロントフォークの工具バッグ。現在も使用中。

★フューエルボトルホルダー。現在も使用中。

★ヘルメットは写真では昔から愛用しているダビダのおわん型だが、Bucoのジェットを購入。現在も使用中。

買った当初はこんな感じだった。今もそう変わらないスタイルだ。本当は英車を買ったのだからもっと洗練されたスタイルにすればよいのだが、元々アメリカンから入っているのでどうしてもこういう物選びをしてしまう。でも自分ではトライアンフのこういうスタイルもありかなと結構気に入ってたりしている。

当時の走りはツーリングというよりほとんど街乗りに近いものだったが何度か四国へはツーリングに行った。大阪といっても和歌山よりに住んでたので、阪和道を使って和歌山に行き、そこからフェリーで徳島へ渡ればそう遠くない距離だ。

四国はいい。自分にとって四国は「死国」、何か神秘的なものを感じるスポットだ。写真が一切残っていないのが残念だが、またいつかゆっくり走ってみたい。

わずかながら写真が残っている当時のツーリング記録は、2003年8月の伊勢と9月に長野県蓼科で行われたRAT(トライアンフユーザーのイベント)位だ。

伊勢Touring (200308)の写真

長野県蓼科RAT Touring (200309)の写真

●2005年頃
  ~初めての長距離ユーリング

<四国・九州ツーリング>

長いブランクの末買ったトライアンフだが、元々走りが好きでバイクに乗り始めたと言うわけではなく、どちらかと言うとファッション的な要素が強かったため、自分の好奇心の衰えと共に徐々に乗る回数が減ってきた。2年で4000キロ位だったか。これでも当時はまだ乗ってた方だ。

仕事も変わり大阪から茅ヶ崎に帰ってきた。そこでかねてからやりたかった事 「バイクで旅に出る」 というのをやってみようと思った。2005年6月の事だ。目的地は大阪にいた頃何度かツーリングした四国から九州に渡り、一度行ってみたかった波乗り天国種子島に行こうと計画を立てた。スケジュールは未定、行き当たりばったりの旅だ。

本当はちゃんとツーレポをまとめたい所だが、ずいぶん前の事だし写真もほとんど撮っていないためここで簡単にまとめる事にする。

道中は宿代節約のため出来るだけキャンプですごそうと決めた。キャンプはずいぶん前にオートキャンプに凝ったが10年以上やっていなかった。オートキャンプ用の道具はフル装備で持っているが、調べてみると車用の装備はみな大きすぎてバイクではほとんど流用できないみたいだ。とりあえずテントやストーブなど基本アイテムを買い揃えて富士山のそばの田貫湖で練習キャンプを実施した。

★田貫湖練習キャンプの写真
 

何とかキャンプの感を取り戻しいよいよ出発だ。時間に余裕があるため神戸までは高速は使わず一般道を使い、2日かけて四国に到着した。そこで以前から行きたかった四万十川沿いをゆっくり走りその美しさを満喫した。上に載せた写真は四万十川のキャンプ場。

ここからフェリーで福岡に渡り大分の湯布院に行った。予定ではこの後長崎から種子島に渡るはずだったが、何年に一度かの大型台風が接近中で九州上陸確実との事。いろいろ考えたが数日間足止め確実のため一度帰ることに決めた。

最後にバイカーに人気の阿蘇山を走り、四国~神戸~阪神高速~東名高速の陸路ルートで台風から逃げるように帰ろうと思っていた。が、九州道のサービスエリアでたまたまパンフを見てたら大分~横須賀のフェリーが存在することを発見!そこから急いで走ればその日の便に間に合うかもしれない。全開で大分のフェリーターミナルに向かって何とか乗船完了。22時間後の翌日17時頃に横須賀着。なぜかここで局地的な大雨に見舞われ、ずぶ濡れになって19時頃自宅に帰ってきた。

帰宅日未定の旅のはずだったが終わってみれば1週間ほどのショートツーリング。ちょっと不完全燃焼に終わった旅だった。キャンプも結局四万十川での1泊だけに終わった。だが初めてソロでの連泊ツーリングだったので今では楽しい思い出だ。

ちなみに大分~横須賀のフェリーを運営していたシャトル・ハイウェイラインは2007年に倒産したらしい。

四国・九州Touring (200508)の写真

●2007年頃
  ~ほとんどバイクに乗らなかった日々

四国・九州ツーリングから帰ってからツーリングにハマって全国を走り回った…
といきたい所だったが、その後別の事に夢中になってしまいまったくバイクに乗らなくなった。

四国・九州ツーリングの際、一度立ちゴケしてウィンカーの破損やステップの折れなど壊れた箇所があり、帰ってすぐ修理に出そうと思っていたのだが、結局そのままの状態で長い休眠状態に入った。

具体的には四国・九州ツーリングから帰って来たその日から1年半バイクにはまったく乗らなかった。

バイクカバーをかけっぱなしで車検も切れた愛車がやっと復活したのは2007年5月の事。10年近く住んだ茅ヶ崎から実家のある横浜に引っ越すため車検を通す必要があったからだ。ブレーキパッドがいかれて後輪がまったく動かなくなってた愛車が元気な姿で帰ってきたのは2007年のGW明けだった。その後はチョイ乗りを繰り返し、とりあえず現状維持に努めた。

●2009年頃
  ~ついに北海道へ、1ヵ月半の旅

<北海道・東北ツーリング>

そんな状況だったため買ってから6年半での走行距離はわずか9000キロ。このままでは愛車があまりにかわいそうなのでこれからはもう少し走ろう思っていた所、ちょうど仕事の区切りで時間ができた。そこで前回ツーリングのリベンジを思い立った。2009年7月の事だ。

どこに行くかは迷ったが観光をした事が無く、またライダーの聖地とも言われている北海道に決めた。ただこの時点ではあまりに長くバイクに興味の無い時間を過ごしたため、ほとんど気持ちが盛り上がっていなかった。だが、とりあえずあまり深く考えず2週間ほどで装備を整え、7月16日早朝に旅立ちを迎えた。

※このツーリングはいずれツーレポをまとめようと思っているのでここでは簡単に記載しておく。

前記のとおり出発時点ではほとんど気持ちが盛り上がっていなかったため、具体的なルートとかは全く事前調査していなかった。まさに行き当たりばったりのスタートだった。さらにスタートから2日間で2回も立ちゴケ!しょっぱらからかなりブルー。

一般道のみでで3日目に仙台に到着したがどうも気持ちがのらない。正直1回帰って出直そうかとも考えたが、そのまま2日間仙台に滞在しじっくり考えた。前回はあまりに簡単に帰ることを決めたため後悔が残った。今回は悔いのない旅にしたい…。

決めた! 「とりあえず北海道に渡っちゃおう」 。

偶然だったが宿泊先から苫小牧行きのフェリーターミナルはバイクで10分足らずの所にあった。ネットカフェで北海道でのルートを研究し、翌日19時苫小牧行きのフェリーに乗船した。

翌午前11時、ついに北海道上陸、天気はあいにくの雨。レインウェアに着替え小雨の中スタートしたが雨足はだんだん強まってくる。いまいち気持ちがのらない状態が続いたが、変わってきたのは十勝あたりを走ってた頃だと思う。

広大な牧草地帯を信号も無くどこまでも続く直線、前後に車もほとんど無く走る開放感。

すれ違うライダー同士は必ずといってよいほど挨拶を交わす一体感。

休憩時やキャンプ場でのライダー同士のふれあい。

他では考えられない、バイクで楽しむための環境がすべてが整っている。と思った。

ライダーの聖地と言われる所以が実感できた。

 

結局その後30日間、距離にすると6000キロ、北海道を走り回った。

前半は北海道でも記録的な雨続きの悪天候だったが、8月に入ると天気も回復し存分に走りを楽しむことが出来た。

礼文島や利尻島にも行った。富良野では1週間キャンプ場に滞在し、「北の国から」ゆかりの地を探索した。

鹿やキタキツネも間近で見た(幸い熊は出会わなかった)。露天風呂や温泉にも毎日のように浸かった。

すべてが今まで体験したことが無かった事だらけで、正直 「ハマってしまった」

その後、函館から青森県の大間にフェリーで渡り、1週間かけて東北を観光しながら8月27日に無事帰って来た。

日数42日間、総走行距離約9000キロの旅が終わった。

今回の旅は悔いは全く無い。今の自分が出来ることはすべてやり尽くしたと思う。

また、来年北海道に行けるかな?

北海道・東北Touring (200907-8)の写真

●2009年11月現在
  ~ソロキャンプに夢中!

北海道・東北ツーリングから帰ってきてハマってしまった事。

「ソロキャンプ」だ。

15年位前に車でのオートキャンプにハマっていたが、バイクでのキャンプはそれとは全く別物で、正直楽しいと思ったことは無かった。それはなぜか?

以前のキャンプは1人で行くことは無かった。まったりと自然を楽しむというよりは、皆で酒を飲みながらワイワイするのが楽しかった。だがバイクでのキャンプは基本1人だ。設営が終わってしまうとやる事がない。

何をすれば良いのか分からないからつまらなかったのだ。

だが北海道・東北ツーリングで何度もキャンプ泊を続けるうち、1人まったり感の心地よさを覚えてしまった。

早速帰ってからネットでのソロキャンプ研究が始まった。

 

調べてみると、やはり同じ様な人たちがたくさんいた。皆さんすごい!

BMWのGSに山のような装備を積んで快適そうなキャンプ空間を創り出している。

だがいろいろ研究していくうちに自分の求めるスタイルはちょっと違うように思えてきた。元々バイクは車と違い積載能力に限りがある。さらにボンネビルは積載能力が乏しい。積もうと思えば積めるがそれでは美しいボンネビルのフォルムを崩す事になり、それだけは絶対避けたい。具体的には、ホムセン系のRV-BOX、銀マット、バニアケース、この3つはご法度だ。

今までの経験上何かに凝りだすと物が増えていくのだが、今回は出来るだけ物を減らす事が重要課題だ。

「貧乏臭くなく、出来る限りシンプル&スマートスタイル」、それに軽いアメリカンテイスト。

これが今回のテーマだ。

そこで今までの装備でパッキング上問題がある物をいくつか買い替え、あとは100均ダイソーで使えそうな物を物色する日々が続いた。そして何とか基本パッキングスタイルが固まった。それをまとめたページがこれだ。

●トライアンフボンネビルT100 雑感

2003年1月に購入してから7年弱、トライアンフボンネビルT100に関しての自分なりの感想を考えてみた。

まず買って大正解だった。現在走行距離約19500キロ、今までトラブルは一切無かった。北海道・東北ツーリングでも約9000キロ走破したがノントラブルだった。

古い車で苦労続きだった自分としてはこれがいちばん大きい。

他のバイクをあまり運転したことがないので比較対照にはならないが乗りやすさも問題なし。

不満な点と言えば

①ギアが5速まで、あと1速欲しい

②純正マフラー(純正スポーツマフラーも含む)では音がしょぼい

③やはり外車なので部品が高額

④ディーラーが少ないのでロングツーリング時が不安

てな事位か。総じてクラシックな部分と今の技術が絶妙にミックスされた名車だと思う。

あと、これは自分自身の技量の問題なのだが、自分にはこのバイクは重過ぎるのかもしれない。

何度立ちゴケしたか分からない。ハンドルをある角度以上に切った状態で急ブレーキをかけると間違いなくコケる。乾燥200キロの車重を支えきれないのだ。この問題に関してはもうあきらめた。

この状況にならないよう出来る限り注意するが、元々倒してしまうものとして考え、「倒した場合の被害を最小限にとどめる(エンジンガード装着を検討)」、「倒してもあまり気にしない」、といった考えに切り替えた。

でも自分の力で支えられるもっと軽い車体のバイクもいいなと思ってる今日この頃。

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