トライアンフ乗りの自分的バイク史(その1)

最近はあまり乗ることのなくなってしまった愛車トライアンフ...。

2002年製の10年車です。走行距離はまだ24000キロ。走る人だったら1年で走っちゃう距離です。
こんな自分が長い年月を経てこのバイクに行き着いた歴史を振り返ってみたいと思います。

内容は過去に書いた記事を分割再編集して掲載していきます。

あと、自分は走り屋系と言うよりはファッション系のバイク乗りですので、一般的なバイク好きの方とは若干趣が異なります。

まあ、自分のバイク熱を少しでも復活させるための記事ですのでご勘弁ください。

●序章

オートバイに興味を持ったのはやはり映画の影響だ。小学校の時に見た「大脱走」、映画に凝ってた中学生の頃に見た「イージーライダー」「乱暴者」あたりでやられたのだと思う。子供の頃に見た映画の影響力はとてつもなく大きい。大人になってからだと、いわゆる名作と言われる映画は見る前にいくらかの情報が入ってしまっている。子供の頃だとそういったノイズが入らず、ストレートにその映画の感動を堪能できる。

中でも影響力MAXだったのが「イージーライダー」。

アメリカンニューシネマの金字塔であるこの映画は、自由の国アメリカの暗の部分を描いた作品だが、子供にはそんな難しいことは到底理解できず「このバイクなんてかっこいいんだろう」てな部分だけが脳みそに焼き付けられた。
そんなわけで自分にとってのバイクはレーサータイプの走り屋バイクはではなく、チョッパースタイルのアメリカンやクラシックスタイルのバイクが基本だ。

●1977年頃
  ~初めてのバイクはヤマハのミニトレGT50

17才の夏休みに原付免許取得&バイトして買ったバイクだ。確か中古で5万円位だったと思う。結局このバイクでは2度も事故って、2回目は腕の骨まで折ったので数ヶ月の付き合いだったような気がする。

エンジンのかかりが悪くて50回位キックしてもかからず、家の前の坂で押し掛けしてかけていた。

あまり思い出は無いのだけれど一度江ノ島から横浜まで走った事があった。当時はまだ本牧に米軍基地があった頃。初めて感じたアメリカの空気に感動した記憶がある。
そのころはノーヘルOKだったってのもあるかもしれない。

でも今でもこのバイクの影響か、この手のオールドモトクロッサータイプのバイクが大好きだ。トライアンフのスクランブラーなんかも同じような形しててかなり気になる。

250cc位でこんなのないかな?

●1979年頃
  ~次に買ったのがホンダのロードパルS

これをバイクと呼ぶかは別として、本当はミニトレの後は中型免許取ってアメリカンタイプの400ccに乗りたいなんて思っていた。

だが事故って骨まで折っちゃったもんだからなかなかやりづらくなって、この頃オバちゃんからヤンキーまで大人気だったこのタイプを買った。当時はこれよりヤマハのパッソルの方が人気があったが、べスパやソレックスが好きだったのでソレックスに似た形のロードパルを選んだ。

★ヤマハのパッソルとソレックス
 

このバイク(?)にはたくさん思い出がある。通学時の駅までの足から遊びまで毎日フルで乗っていた。

海にもよく行った。1979年の夏に江ノ島で開催された「Japan Jam」にもこれで行った記憶がある。
※ジャパン・ジャムとは1979年8月4日、神奈川県・江ノ島 特設会場(約3万平方メートル)を皮切りに開催された、世界最大級の屋外コンサート。当時の出演アーティストの顔ぶれからも、第2のウッドストックと呼ぶにふさわしい規模のロックイベントであったことが伺える。

そんなんで高校生の頃は貴重な移動手段だったロードパルだったが、大学に入ると車がメインになってだんだん乗る回数が減ってきた。またずいぶんこき使ったのであちこちボロが出てきて1983年頃廃車になった。

●ブランク①

このあと車が中心となり長いブランク期間に入る。大学時代には仲の良かった友達がバイク好きで、たまにケツに乗せてもらうような事もあったが、その友達はロードバイク派だったためまったく影響を受けることも無く、30才近くになるまでバイクにはまったく興味がなかった。

ただこのブランク期間中ヤマハのSR400に乗りたいなんて思ったことが何度かあった。(思っただけだが…。)

~ その2に続く

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