Surfing

 

●序章

サーフィンに興味を持ったのはやはり映画の影響だ。1978年公開の「ビッグ・ウェンズデー」

サーフィンを中心に良き時代アメリカのティーンエイジャーを描いた映画前半部分は、当時海沿いにある高校に通っていて海が身近な存在だった自分にとって夢のような光景に映った。

すぐにでもサーフィンを始めたかったのだが、運悪くまわりにサーファーがいなかった。結局初めてサーフィンしたのはそれから6年後、1984年のことだ。すでに社会人で普通はサーフィンを卒業するような年齢だ。

きっかけは学生時代にバイトで知り合った人。初めてサーフィンをやってる人に出会いついに決心した。だがその人は出張が多く、結局一緒にサーフィンをしたのは最初の1回か2回だけだった。

遅咲きの上、1人で始めることになったサーフィン。だがその後ドップリのめり込んでいくことになる。

●サーフボードのこと

★初めてのボード (ノーブランド・ショート・シングルフィン)
なぜか有名な道具街の合羽橋で購入。安く道具を揃えられる店を知り合いに訊いたら教えてくれた店だ。確かに安かったがモノはひどかった。
時代遅れのシングルフィンに冴えないデザイン。すぐに買い替えた。

★2枚目のボード (ノーブランド・ショート・トライフィン)
原宿オッシュマンズで購入したトライのショート。
これも気に入らなかった。

 

★3枚目のボード (Hot Buttered・ショート・トライフィン)
会社の同僚の友人から買ったHot Butteredのショート。レジェンドサーファーのテリー・フィッツジェラルドがシェイプした板だ。厚さがあるため浮力も十分で乗りやすい。この板で練習を重ね、何とか初心者から抜け出すことが出来た。

だがその先は険しかった。横に滑る事はマスターしたがアップダウンなど、ボードコントロールがうまく出来ない。サーフィンの難しいところは反復練習が効率よく出来ない事だ。海に行っても波がなければ乗れない。たとえあっても他のサーファーとの波の争奪戦が待っている。

うまく上達しないまま2年が過ぎた頃、たまたま行ったサーフショップで古いサーフムービーを見た。

ロングボードで優雅にサーフィンをするその映像に釘付けになった。

「ロングボード面白そうじゃん」

何か今までの迷いが吹っ切れたような気がした。

自分が求めていたサーフィンがそこにあった。

ロングボードに乗ろうと決心した。

 

今でこそロングボードに乗る人は星の数ほどいるが、86年当時は海に行ってもほとんど見かけることはなかった。3回海に行って1人見るかどうか位の数だ。ショート全盛の時代でロングボードは石器時代の化石のような存在だった。

そんな状況の中でロングボード探しが始まった。インターネットは当時まだない。「サーフィンワールド」「サーフィンライフ」等の専門誌を見てもロングボードのことは全く載っていない。これは足で探すしかないと思い、ロングボーダーが少しでも多くいそうな鎌倉辺りのサーフショップを手当たり次第見て回ったが、扱っている店は一軒もなかった。

諦めかけた頃、いつも立ち寄っている辻堂のコーストラインをダメもとで見てみたら、「あった!」

ちょっと短めの2m50cm、欲しかったシングルフィンではなくトライだったが、間違いなく捜し求めていたロングボードだ。即決で買って帰った。

★4枚目のボード (ノーブランド・ロング・トライフィン)
念願のロングボードはサーフィンの楽しさを再認識させてくれた。

ショートボードとは比較にならない安定性により、パドリングが安定する、小さい波でも乗れる、ボードコントロールがしやすい、板の上でのウォーキング等、楽しさは書ききれない。

さらにロングボードに乗っているとベテランサーファーに見られるという利点もあった。これは波争奪戦で有利に働いた。

その後90年代に入って爆発的なロングボードブームが起こり、オヤジたちが海に帰ってくる事になる。

この板には結局4年位乗った。この頃が一番サーフィンに夢中だった時期だ。

 

★5枚目のボード (Bear・ロング・シングルフィン)
ちょうど30才の頃、車やバイクを買ったり海のそばに引っ越したりと、自分の生活環境が大きく変わった。

このBearの板もその頃購入したお気に入りの一品だ。

Baerというブランドは映画「ビッグ・ウェンズデー」から生まれたブランドで、自分にとっては特別な思い入れがある。

上手くなったらBearの板に乗ろうとずっと思っていたが、いつまでたってもBearの板を乗りこなすまで上達しなかった。でも30才になって、まあヘタッピでもこの年なら許されるかなと思って買った板だ。

満を持して買ったBearの板だが、思ったより乗りにくい板だった。前の板よ25cm長くなったので小波も捕らえやすくなるだろうと思っていたが、逆に前より乗りにくくなった。ボードコントロールも長くなった分動きにくくなり、正直自分には合っていない板だった。だか高価な板だし、なんと言っても憧れのBearだ。結局我慢して乗り続けた。

★6枚目のボード (Bic・ロング・シングルフィン)
それから10年、時は2003年夏。ほとんど海に入ることはなくなり、入っても夏に数回行く程度になっていた。

だが、その夏なぜか突然サーフィン再開を思い立ち、気分転換に板を買い替えた。

Bearの板は長い間の酷使でボロボロになっていた。Bearブランドで買い替えも考えたが、悲しい事にBearはこの10年で安物衣料ブランドに成り下がっていたため却下。悩んだ結果選んだのがBicのサーフボードだ。

この板はちょっと特殊な板だ。通常サーフボードの素材はウレタンフォームなのだが、これはモールドというやつを使っていて材質がものすごく硬い。しょっちゅう板をぶつけて傷つけてばかりいる自分にとってこれは都合が良い。

ただこの板には大きな欠点がある。低価格&丈夫な板なので初心者スクールなどでよく使われている。そのため素人向けの板というイメージが強く、バカにする人が結構多い。だがへそ曲がりな自分は、逆にこの板を玄人っぽく扱うとカッコいいんじゃないかと考えた。

そんな理由で買った板だが結局乗ったのはその夏限りで、今は車庫で埃をかぶっている。

●ビーバーテールのこと

ウェットスーツもずいぶん買ったが、一番気にいっていたのはボディグローブのビーバーテールだ。
15年位前に原宿オッシュマンズで見つけて即買いした。

 

「ビッグ・ウェンズデー」でジャックがこのビーバーテールでサーフィンするシーンがあり以前から気になっていたアイテムだ。

今では結構ポピュラーなアイテムになって、ビーバーテールにサーフハットなんて人も見かけるようになったが、当時これを着てサーフィンをしている人は見たことがなく、お気に入りの一品だった。

このビーバーテールに限らず、クラシックなサーフアイテムはこの15年ほどでみなポピュラーになってしまい、流行り物が嫌いな自分としては寂しい限りだ。

●海のそばに住むこと

 

海のそばに引っ越したのは93年頃だったと思う。ふとしたことがきっかけだった。

湘南にドライブに行って鎌倉高校前あたり(上の絵のあたり)を走っていた時、海沿いに建つ家を見て「こんな所に住んだら毎日波乗り天国で楽しいだろうな」とふと思ったのが始まりだ。

すぐに家探しに取り掛かり1ヵ月後には横浜から鵠沼のアパートに引っ越した。

★最初の家(藤沢市鵠沼海岸)
 
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最初の海のそばの家は、国道134号線沿いにある鵠沼海浜公園(当時は鵠沼プールガーデンだった)の真ん前の2DKアパート。

鵠沼海岸のポイントまで歩いても3分位、まさにサーフィンするには絶好のロケーションだ。
ここでの生活は快適だった。
早朝の波チェックで波が良ければ通勤前に朝サーフィン。週末はビーチクルーザーで海沿いをのんびりサイクリング。夏場は友人もたくさん訪れ、海辺でバーベキューと本当に楽しい毎日だった。

だが結局この家に住んだのは半年位だった。134号線沿いという事もあり夏は暴走車の騒音に悩まされ、さらに隣人はキチガイ!
どうにも我慢できず引越しを決意した。

★2番目の家(茅ヶ崎市東海岸南)
 
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最初の家はロケーションは最高だったのだが、ろくに研究もせず安易に場所を選んで失敗した。
そのため2番目の家探しは慎重に行った。騒音を考えると鵠沼よりもっと大人の街が良い。
また、通勤を考えると江ノ島から茅ヶ崎の間が良い。となると辻堂か茅ヶ崎か。

いくつか物件を見てまわり、最終的に茅ヶ崎の東海岸南にある2DKに決定。ちょうど茅ヶ崎駅と海の中間地点あたりで、海までは歩いて10分ほど。好きなポイントの裏パークまではそこから海沿いをさらに10分ほど歩く。だがチャリンコを使えば家からポイントまで10分程なので問題ない距離だ。

この家に住んでいた時期が海そば生活を一番満喫していた時期かもしれない。ご近所さんも同年代で同じ様な趣味嗜好を持つ人が多かったし、気になっていたローカル問題も波のサイズが上がった時を除けば特に気にすることはなかった。

ここには出来る限り長く住んでいたかったが、4年ほど経ってとうとう引っ越す事になった。

★3番目の家(茅ヶ崎市中海岸)
 
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2番目の家を引っ越したのは単に財政上の問題だ。
茅ヶ崎は駅から海側は人気が高く家賃も高い。ひとり者で特に部屋数も必要ないため家賃が安かった新築の1Kに引っ越した。

引越し先の中海岸は鉄砲通り沿いにあり、海までの距離は以前の家とそう変わらない。だが前の家は雄三通りという茅ヶ崎でもメジャーな通り沿いにあり華やかな雰囲気だった。それに比べ中海岸は地味で海そば生活的にはちょっとつまらなくなった。サーフィン的にも好きなポイントの裏パークやチーパーまではかなり遠くなり、しょうがなく海水浴場ポイントでやることが多くなった。

また、この頃から茅ヶ崎の街自体が大きく変化してきた。自分と同じ様に海そば生活に憧れて引っ越してくる人が多くなり、特に駅前周辺から雄三通りにかけては、昔からある定食屋や飲み屋がどんどん高層マンションに変っていった。東海道線沿線で都内にもアクセスの良い茅ヶ崎に皆着目したのだろう。
マンションだらけの光景に、自分も何かうんざりした気分になっていた。

結局この中海岸の家には3年位住んだが、2000年頃仕事で関西に引っ越す事になり、8年住んだ湘南を離れる事になった。

★4番目の家(茅ヶ崎市幸町)
 
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大阪に3年ほど住み関東に帰って来ることになったが、住む場所はまた茅ヶ崎以外考えなかった。
この頃はもうサーフィンはやらなくなっていたため、特に海のそばにこだわらず部屋探しを行った。結果、1軒屋の1階部分2LDK、通勤に便利な駅まで1分の物件に決めた。

大阪に行っていた3年間でさらに茅ヶ崎は変貌を遂げていた。マンションはさらに増殖を続け、お気に入りだったBar「Bagus」もなくなっていた。海からかなり離れたことで、海そば生活感もほとんどなくなり、実際海にもほとんど行かなくなった。そうなると海のそばに住む意味もなくなり、結局3年ほど住んで2007年に実家のある横浜に引っ越した。

足掛け11年の海そば生活が終わった。

●海までの足のこと

サーフィンを始めてから海のそばに引っ越す93年頃まで、海への足は車だった。サーフィンを始めて夢中になっていた時期に乗ってた車が日産のラングレー

この頃は真冬も海に入っていたため、辻堂のおでんセンター前の駐車場で凍えそうになりながらウェットスーツに着替えていたのを思い出す。

その後車はBeetleに変わり、キャリアはスーリー、板も念願のBearを手に入れてご機嫌な時代が下の写真だ。

93年頃海のそばに引っ越して、海への移動も車からビーチクルーザーに変わった。

 

最初のビークルは当時勤めていた会社がアメリカから直輸入した物でお気に入りの一品だった。これにお決まりのサーフキャリアを付けて海岸沿いのサイクルロードを走ってると、海そば生活を実感でき嬉しかった。

ビークルは1年も乗ってるとイイ感じに錆びてくる(湘南では自転車は錆びてるほどエライ)。錆びの数はそのまま海そば生活の年月を表す年輪のようだった。結局このお気に入りのビークルは盗まれてしまったのだが、その後2台のビークルを乗り継いだ。

ビーチクルーザーは自分にとって海そば生活の象徴だったのかもしれない。

●ワイキキビーチのこと

ハワイに行った時に、ワイキキビーチでレンタルボードを借りてサーフィンをした。

これは忘れられない思い出だ。

湘南とは比べ物にならないロケーションと海の美しさ。パーフェクトに崩れるレギュラーブレイクは今まで経験したことのないロングライドを体験させてくれた。

 

ハワイというとワイメアベイの巨大な波を連想するが、ワイキキビーチのサーフィンはのんびり、そしてフレンドリー。こんなサーフィンが理想だし、自分には性に合っている。

まあ、自分がワイメアの海に入ったら生きてないけど...。

●サーフムービーのこと

サーフィンを始めた頃、「Free Ride」をはじめとする70年代のサーフムービーの名作を見た。マーク・リチャーズ、ショーン・トムソン、ウェイン"ラビット"バーソロミューらのアグレッシブなサーフィンは今見てもアドレナリンが噴出してくる。

 

2009年夏に公開された映画「Bustin’ Down The Door」は、これらの名作が生まれた時代、彼らがサーフィンの聖地ハワイで、いかにしてスーパースターに登りつめたのか?今までタブーとされて語られることのなかった事実も含め大変興味深かった。

ロング系の映画では「ビッグ・ウェンズデー」「エンドレス・サマー」は基本として、幼い頃のジョエル・チューダーの天才的なサーフィンが見ることのできる「On Safari To Stay」が記憶に残っている。

 

●プロサーファーのこと

自分がサーフィンを始めた1984年頃のワールドチャンプはトム・カレンだった。彼のサーフィンはとにかく洗練されていて美しかった。ウェイン・ラビット・バーソロミューの流れるようなサーフィンを進化させたスタイルで、ビッグウェイヴから小さな波までどんな波でもきれいに乗りこなした。

だが一番好きだったのは、マーク・リチャーズ、ショーン・トムソン、ウェイン"ラビット"バーソロミュー、ジェリー・ロペス、テリー・フィッツジェラルド等、一世代前のスーパースター達だ。

特にマーク・リチャーズ。「Free Ride」で見られる”翼の折れたカモメ”と称される深いボトムターンは鳥肌ものだ。ショーン・トムソンのチューブライディングもすごい。きっとあのトンネルの中は別次元の世界なんだろう。ウェイン"ラビット"バーソロミューは超人的な平行感覚を持った天才だ。サーフィンもすごいが、映画の中で見られるピンボール、ブランコ、スケボーなどの何でもないシーンでも彼の凄さが見てとれる。また、ラビットの70年代っぽさが本当カッコいい! テリー・フィッツジェラルドのジェフリーズベイでのロングライディングは本当に凄い! 自分のフェイバリッド・サーフシーンだ。ハワイアンではジェリー・ロペス。佐藤傳次郎が撮影したチューブライディングは何か神々しさまで漂っている。

少し新しいところでは、ロングのジョエル・チューダーの出現は衝撃的だった。初めて見たのは「On Safari To Stay」のビデオだったが、まだ12歳(だったと思う)のサーフィンはすでに芸術の域にに入っていた。案の定、すぐにロングボード界のスーパースターに成長した。

ケリー・スレーターやロブ・マチャドの出現は新しい時代の始まりを感じさせた。彼らはサーフィンと共に見た目も斬新で、さらにミュージシャンとしてCDを出したりと、マルチな才能に溢れた羨ましい存在だ。

ミュージシャンといえば、元プロサーファーのジャック・ジョンソン。サーファーとしての彼の実力は良くわからないが、渋谷のタワレコで初めて視聴したアルバムは今でも愛聴盤のひとつだ。

日本のサーファーはあまり知らないのだが、サーフィンを始めた頃人気のあった久我孝男、糟谷修自、デビューしたての大ちゃんこと中村大輔あたりが思い出される。

★トム・カレン / Tom Curren / ★マーク・リチャーズ / Marc Richards
 

★ショーン・トムソン / Shaun Tomson / ★ウェイン"ラビット"バーソロミュー / Wayne "Rabbit" Bartholomew
 

★テリー・フィッツジェラルド / Terry Fitzgerald / ★ジェリー・ロペス / Gerry Lopez
 

★ジョエル・チューダー / Joel Tudor / ★ケリー・スレーター / Kelly Slater
 

★ロブ・マチャド / Rob Machado / ★ジャック・ジョンソン / Jack Johnson
 

★久我孝男 / Takao Kuga / ★糟谷修自 / Syuji Kasuya
 

サーフィンをしている自分の写真は残っていない。唯一見つかったのはこれだけだった。

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