今度はiPadから更新するよ。
動画はどうかな?
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最近アイドルのMVをよく見るようになりました。いい歳こいたオヤジがアイドルというのも恥ずかしい話ですが、気になるものはしょうがない。
やはりいくら歳をとろうと男である以上、可愛い女の子は気になるものです。(笑)
アイドルのMVをよく見るようになったきっかけは「このアイドルのMVは必見」的まとめサイトで紹介されていたあるMVをみた事です。Buono! というハロプロのユニットの「ロッタラ ロッタラ」という曲です。
★Buono! – Rottara Rottara
曲の良さもさることながら、さびの「これっくらい〜」のところの振りが可愛くて何度も繰り返して見てしまいました。それからアイドル物のMVが気になるようになりいろいろ見るようになった次第です。
今のお気に入りはハロプロの℃-uteという5人グループです。きっかけは、メンバーの1人の岡井千聖さんのYouTube動画をみた事です。
★Danceでバコーン!を踊ってみた 【岡井千聖(本人)】
投稿動画の人気シリーズ「踊ってみた」を元歌本人が投稿しているという斬新さもさることながら、曲の良さ、ダンスの見事さ(本人だから当然といえば当然だが)に惚れ込み、オリジナルも見てみました。
★℃-ute 『Danceでバコーン!』 (Dance Shot Ver.)
この動画は決定的でした。楽曲、振り付けの良さもさることながら、5人のダンスのキレが素晴らしい。
ちなみに岡井千聖さんの踊ってみた動画は何と170万再生で、自分みたいにこの動画を見て℃-uteにハマった新しいファンがたくさんいるそうです。
まあこんな感じで今アイドルにはまってます。
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最近ずっと永い間探していた曲をYouTubeで見つける事が出来ました。
1曲目は80年代初頭のダンスナンバーです。
♫You&I – We Are The Love
当時大学生だった自分は、新宿歌舞伎町の東亜会館にあった「カンタベリーハウス・ギリシャ館、VIVA館」に毎週のように通ってました。この曲はその頃良くかかっていた曲で、一度聴いただけで耳に残る哀愁のあるメロディラインが特徴的です。
以前から気が付くとネットで探っていたのですが、曲のタイトルもアーティスト名も「You & I」という、あまりにありきたりな名前のためなかなか検索出来ませんでした。
今回、サビの後に続く「We Are The Love」という歌詞を思い出し、やっと見つける事が出来た次第です。原題は「You & I」じゃなくてこちらだったんですね。
もう1曲も80年代初頭のナンバーです。
♫Newton Family – Smile Again
この曲は「ラスト・コンサート」という映画の主題歌で、感動系のバラードナンバーです。
こちらは完全に忘れていたのですが、ふとしたきっかけで急に思い出した曲です。
30年振り位で聴いたのですか、やはり涙が出てきそうな名曲です。
でも、何十年も聴くことのなかった曲を簡単に探し出せるって、すごい時代だとあらためて感じた次第であります。
YouTubeってすごい!!
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最近はあまり乗ることのなくなってしまった愛車トライアンフ...。
2002年製の10年車です。走行距離はまだ24000キロ。走る人だったら1年で走っちゃう距離です。
こんな自分が長い年月を経てこのバイクに行き着いた歴史を振り返ってみたいと思います。
内容は過去に書いた記事を分割再編集して掲載していきます。
あと、自分は走り屋系と言うよりはファッション系のバイク乗りですので、一般的なバイク好きの方とは若干趣が異なります。
まあ、自分のバイク熱を少しでも復活させるための記事ですのでご勘弁ください。
●序章
オートバイに興味を持ったのはやはり映画の影響だ。小学校の時に見た「大脱走」、映画に凝ってた中学生の頃に見た「イージーライダー」「乱暴者」あたりでやられたのだと思う。子供の頃に見た映画の影響力はとてつもなく大きい。大人になってからだと、いわゆる名作と言われる映画は見る前にいくらかの情報が入ってしまっている。子供の頃だとそういったノイズが入らず、ストレートにその映画の感動を堪能できる。
中でも影響力MAXだったのが「イージーライダー」。
アメリカンニューシネマの金字塔であるこの映画は、自由の国アメリカの暗の部分を描いた作品だが、子供にはそんな難しいことは到底理解できず「このバイクなんてかっこいいんだろう」てな部分だけが脳みそに焼き付けられた。
そんなわけで自分にとってのバイクはレーサータイプの走り屋バイクはではなく、チョッパースタイルのアメリカンやクラシックスタイルのバイクが基本だ。
●1977年頃
~初めてのバイクはヤマハのミニトレGT50
17才の夏休みに原付免許取得&バイトして買ったバイクだ。確か中古で5万円位だったと思う。結局このバイクでは2度も事故って、2回目は腕の骨まで折ったので数ヶ月の付き合いだったような気がする。
エンジンのかかりが悪くて50回位キックしてもかからず、家の前の坂で押し掛けしてかけていた。
あまり思い出は無いのだけれど一度江ノ島から横浜まで走った事があった。当時はまだ本牧に米軍基地があった頃。初めて感じたアメリカの空気に感動した記憶がある。
そのころはノーヘルOKだったってのもあるかもしれない。
でも今でもこのバイクの影響か、この手のオールドモトクロッサータイプのバイクが大好きだ。トライアンフのスクランブラーなんかも同じような形しててかなり気になる。
250cc位でこんなのないかな?
●1979年頃
~次に買ったのがホンダのロードパルS
これをバイクと呼ぶかは別として、本当はミニトレの後は中型免許取ってアメリカンタイプの400ccに乗りたいなんて思っていた。
だが事故って骨まで折っちゃったもんだからなかなかやりづらくなって、この頃オバちゃんからヤンキーまで大人気だったこのタイプを買った。当時はこれよりヤマハのパッソルの方が人気があったが、べスパやソレックスが好きだったのでソレックスに似た形のロードパルを選んだ。
★ヤマハのパッソルとソレックス
このバイク(?)にはたくさん思い出がある。通学時の駅までの足から遊びまで毎日フルで乗っていた。
海にもよく行った。1979年の夏に江ノ島で開催された「Japan Jam」にもこれで行った記憶がある。
※ジャパン・ジャムとは1979年8月4日、神奈川県・江ノ島 特設会場(約3万平方メートル)を皮切りに開催された、世界最大級の屋外コンサート。当時の出演アーティストの顔ぶれからも、第2のウッドストックと呼ぶにふさわしい規模のロックイベントであったことが伺える。
そんなんで高校生の頃は貴重な移動手段だったロードパルだったが、大学に入ると車がメインになってだんだん乗る回数が減ってきた。またずいぶんこき使ったのであちこちボロが出てきて1983年頃廃車になった。
●ブランク①
このあと車が中心となり長いブランク期間に入る。大学時代には仲の良かった友達がバイク好きで、たまにケツに乗せてもらうような事もあったが、その友達はロードバイク派だったためまったく影響を受けることも無く、30才近くになるまでバイクにはまったく興味がなかった。
ただこのブランク期間中ヤマハのSR400に乗りたいなんて思ったことが何度かあった。(思っただけだが…。)
~ その2に続く
全米トップ40は、ラジオ関東(現ラジオ日本)で毎週土曜の深夜に放送されていた、最新ビルボードTOP40を紹介するラジオ番組だ。 ディスクジョッキーは湯川れい子さん。加えて坂井隆夫アナ、矢口清治さん、チャッピーこと山本さゆりさん、スヌーピーこと今泉惠子さんなど、今でも業界で活躍されている方たちが出演していた。
中学から高校にかけて、自分はこの番組を聴きながら毎週チャートをつけることに夢中になっていた。 全米トップ40を聴くようになったきっかけは今でもよく憶えている。
中学の3年生の頃(1976年)、Deep Purple、Led Zeppelin、Cream、当時人気絶大だったKiss、Aerosmithなどのハードロックに夢中になっていた。そんな時、甘ったるいポップスやポピュラー音楽にはほとんど無関心だった自分が、180度方向転換するきっかけとなる出来事があった。
いつものように寝る前に深夜放送を聴こうとラジオをつけたら、流れてきたのは甘ったるいメロディ。 いつもだったら即座にチューニングを変えるのだが、なぜかその時はその甘く切ないメロディに引き込まれていった。そして自然と涙が...。
Chicagoの「If You Leave Me Now 」(愛ある別れ)という曲だ。
曲が終わった後DJが紹介した曲名とアーティスト名を控えて、翌日レコード屋さんにシングル盤を買いに走った。それからは毎日この曲ばかり繰り返し聴いてたのを覚えている。そしてそのシングル盤に「全米No.1ヒット!」と書かれていたのが全米チャートに興味を持つきっかけとなった。
インターネットもない当時、関東地方でリアルな全米チャートを知るには、
①銀座のイエナ書店等に依頼し、Billboard誌の空輸便を年間購読する。
②FEN(米軍極東放送・810MHz)を聴く。
③ラジオ関東(現ラジオ日本)で放送していた「全米トップ40」を聴く。
たぶんこのどれかしか方法はなかったと思う。この中で①は購読料がたしか年間4~5万円位かかったと思うので到底無理。②は英語が分からないのとチャートが1~2週遅れの放送だった。 で、必然的に③の選択となった。
全米トップ40を聞き始めてからは、以前の様にハードロックを聴く事は少なくなり、急速にアメリカンポップスに目覚めていった。ジム・クロウチやバリー・マニロウなど、この番組がなかったら出会う事のなかっただろうアーティストも多い。
初めて聞いた時のNo.1は、6週連続No.1をとったRod Stewartの Tonight’s The Night だった。 ちなみにこの時(1976年11月13日付)のTop10は、
10位 Do You Feel Like We Do / Peter Frampton
9位 The Rubberband Man / The Spinners
8位 Just To Be Close To You / Commodores
7位 If You Leave Me Now / Chicago
6位 Rock’n Me / Steve Miller Band
5位 Muskrat Love / Captain & Tennile
4位 Love So Right / Bee Gees
3位 The Wreck Of The Edmund Fitzgerald / Gordon Lightfoot
2位 Disco Duck / Rick Dees & His Cast of Idiots
1位 Tonight’s The Night (Gonna Be Allright) / Rod Stewart
ラジオで聞いた曲名、アーティスト名をとりあえずカタカナで書き取り、後からMusic Lifeや週刊FMに載っていたTop100チャートを見てノートに清書する、といった作業は3年位続いた。
チャートをつける楽しみ、いい曲を探す楽しみ、最新の音楽情報を知る楽しみ。 音楽を聴く事が何より好きだったあの頃の自分にとって、全米トップ40は忘れられない想い出だ。
こういった音楽の聴き方をしていたため、同世代の音楽好きと話をしても噛み合わない事も多い。
大抵の人は ”アーティスト→アルバム” といった単位で話すが、自分の様にチャートを追いかけていた人間は ”アーティスト→曲” といった単位で考える。実際シングル盤ばかり買ってたので、アルバムはあまり聴いていないのだ。
だが、アルバムから何枚シングルカットされたとか、何週1位になったとか普通の人があまり知らないような事をよく知っている。特に一発屋アーティストとかはかなり詳しい
逆に、何かのきっかけで当時の同好の士に出会うと、情報のソースが限られていたためか、同じ本を買っていたり、同じラジオを聴いてたりでびっくりするくらい共通点が多い。そういった人とは苦労を共にした戦友みたいなもので、すぐ打ち解けた関係になる。
今思うと当時は今の情報化社会と違って、何かを好きになっても情報を集めることは本当に至難だった。
今のように無限にあるソースから自分にあったものをチョイスするというのも便利だけど、やっぱあの頃みたいに手探りで探していく方が楽しいと思う今日この頃。
PS. 番組の最後に湯川さんがいつも言っていた言葉、
「来週まで地面にちゃんとあんよをつけて、星に手をさしのべて待っていてくださいね」
もう一度聞いてみたいな。
この曲は1977年の曲なんだけど、シングル盤を買ったのはもっと後だった気がする。
77年といったらピストルズとかクラッシュと同時期か。このバンドも初期パンクムーブメントの一員だったのですね。
ストレートでキャッチーなメロディ。今でもよく聴く曲です。
PS. このロゴマークかっこいい。
海のそばに引っ越したのは93年頃だったと思う。ふとしたことがきっかけだった。
湘南にドライブに行って鎌倉高校前あたり(上の絵のあたり)を走っていた時、海沿いに建つ家を見て「こんな所に住んだら毎日波乗り天国で楽しいだろうな」とふと思ったのが始まりだ。
すぐに家探しに取り掛かり1ヵ月後には横浜から鵠沼のアパートに引っ越した。
最初の海のそばの家は、国道134号線沿いにある鵠沼海浜公園(当時は鵠沼プールガーデンだった)の真ん前の2DKアパート。
鵠沼海岸のポイントまで歩いても3分位、まさにサーフィンするには絶好のロケーションだ。
ここでの生活は快適だった。
早朝の波チェックで波が良ければ通勤前に朝サーフィン。週末はビーチクルーザーで海沿いをのんびりサイクリング。夏場は友人もたくさん訪れ、海辺でバーベキューと本当に楽しい毎日だった。
だが結局この家に住んだのは半年位だった。134号線沿いという事もあり夏は暴走車の騒音に悩まされ、さらに隣人はキチガイ!
どうにも我慢できず引越しを決意した。
最初の家はロケーションは最高だったのだが、ろくに研究もせず安易に場所を選んで失敗した。
そのため2番目の家探しは慎重に行った。騒音を考えると鵠沼よりもっと大人の街が良い。
また、通勤を考えると江ノ島から茅ヶ崎の間が良い。となると辻堂か茅ヶ崎か。
いくつか物件を見てまわり、最終的に茅ヶ崎の東海岸南にある2DKに決定。ちょうど茅ヶ崎駅と海の中間地点あたりで、海までは歩いて10分ほど。好きなポイントの裏パークまではそこから海沿いをさらに10分ほど歩く。だがチャリンコを使えば家からポイントまで10分程なので問題ない距離だ。
この家に住んでいた時期が海そば生活を一番満喫していた時期かもしれない。ご近所さんも同年代で同じ様な趣味嗜好を持つ人が多かったし、気になっていたローカル問題も波のサイズが上がった時を除けば特に気にすることはなかった。
ここには出来る限り長く住んでいたかったが、4年ほど経ってとうとう引っ越す事になった。
2番目の家を引っ越したのは単に財政上の問題だ。
茅ヶ崎は駅から海側は人気が高く家賃も高い。ひとり者で特に部屋数も必要ないため家賃が安かった新築の1Kに引っ越した。
引越し先の中海岸は鉄砲通り沿いにあり、海までの距離は以前の家とそう変わらない。だが前の家は雄三通りという茅ヶ崎でもメジャーな通り沿いにあり華やかな雰囲気だった。それに比べ中海岸は地味で海そば生活的にはちょっとつまらなくなった。サーフィン的にも好きなポイントの裏パークやチーパーまではかなり遠くなり、しょうがなく海水浴場ポイントでやることが多くなった。
また、この頃から茅ヶ崎の街自体が大きく変化してきた。自分と同じ様に海そば生活に憧れて引っ越してくる人が多くなり、特に駅前周辺から雄三通りにかけては、昔からある定食屋や飲み屋がどんどん高層マンションに変っていった。東海道線沿線で都内にもアクセスの良い茅ヶ崎に皆着目したのだろう。
マンションだらけの光景に、自分も何かうんざりした気分になっていた。
結局この中海岸の家には3年位住んだが、2000年頃仕事で関西に引っ越す事になり、8年住んだ湘南を離れる事になった。
大阪に3年ほど住み関東に帰って来ることになったが、住む場所はまた茅ヶ崎以外考えなかった。
この頃はもうサーフィンはやらなくなっていたため、特に海のそばにこだわらず部屋探しを行った。結果、1軒屋の1階部分2LDK、通勤に便利な駅まで1分の物件に決めた。
大阪に行っていた3年間でさらに茅ヶ崎は変貌を遂げていた。マンションはさらに増殖を続け、お気に入りだったBar「Bagus」もなくなっていた。海からかなり離れたことで、海そば生活感もほとんどなくなり、実際海にもほとんど行かなくなった。そうなると海のそばに住む意味もなくなり、結局3年ほど住んで2007年に実家のある横浜に引っ越した。
足掛け11年の海そば生活が終わった。
2009年、2010年と2年続けて行ってきた北海道ツーリングのツーレポアップしました。2010年はすでに書き上げたもののまとめ、2009年は現在少しずつ書き足しているところです。
下記リンクからアクセスできます。
2009年北海道・東北ツーリング42日間の旅(現在順次執筆中)
Queenが1975年に発表した「オペラ座の夜」のA面5曲目に収録されていた名曲です。
このアルバムからは「ボヘミアン・ラプソディ 」「マイ・ベスト・フレンド」「ラヴ・オブ・マイ・ライフ」などのヒット曲が生まれてますが、ブライアンの12弦ギターが印象的なこのナンバーが、当時から一番のお気に入りでした。
ちなみに39というのはファーストアルバムから数えて39曲目に収録された曲という意味だそうです。
「La Bamba」は1987年に製作された音楽映画で、わずか17歳で飛行機事故で他界したロックシンガー、リッチー・バレンスの生涯を描いた作品です。
大ヒットしたメインチューン「La Bamba」をはじめ、音楽の大部分をメキシコ系のバンド「ロス・ロボス」が担当しています。
映画の内容もすばらしく大好きな映画のひとつなのですが、ここで取り上げた理由は別にあります。
それは、この映画にちょっとだけ登場する、リッチー・バレンスと同じ飛行機事故で他界したバディ・ホリーが大好きだからです。
この映画でバディ・ホリー役を演じているのは、マーシャル・クレンショウというミュージシャンで、映画の中では「Crying, Waiting, Hoping」という曲を演奏しています。この演奏がメチャかっこいいのです。歌い方もバディの特徴を良くつかんでおり、特にギターソロはほんとかっこいいです。
映画ではリッチー・バレンスの演技シーンと重なり、一部しか演奏シーンを観ることが出来ないのですが、サントラの音源はこれです。
この他にも、エディ・コクラン役で、ストレイ・キャッツのブライアン・セッツァーが出演しており、これもやたらかっこいいです。
1959年2月3日。リッチー・バレンスはわずか17歳、バディ・ホリーは22歳。もうひとり一緒に亡くなった「ハロ~、ベイビ~」で有名なビッグ・ボッパーは28歳。3人のロックンローラーが一度に亡くなり、ファンに衝撃を与えたこの日は、後に「音楽が死んだ日」と呼ばれるようになったそうです。
<おまけ>
マーシャル・クレンショウの「Crying, Waiting, Hoping」2008年ヴァージョン。いい年のとりかたしてるな~
最近よく聴いているのが、70年代のフォークシンガー、やまがたすみこさん。
本田路津子さんで気になる曲があったため、ネットで調べてたらひっかかりました。
自分が音楽を聴き始めた頃、やまがたさんはまだ活動期でしたが、すでに初期のカレッジフォークではなく、その頃流行りのニューミュージック路線に移ってました。
人気のあった中原めいこや庄野真代らと比べると、イマイチ印象に残ってません。
そのため、今の今まで名前位しか知らなかったのですが、たまたま見たYouTubeでノックアウトされました。
可憐です… 癒されます… 今の若い娘たちが皆不良に見えます…
こういう歌手、今いないもんなぁ。 まぁ、自分ももクロも好きですけど… ( ´Д`)y━・~~
今までPosterousのサービスを使ってブログを書いていたのだが、あまりのページの重さに耐えかね、使用を断念した。
Posterousは機能豊富で、いろいろなサービスとの連携もばっちりだったので気に入ってたのだけど、いかんしもページを開くのに時間がかかる。最新のPCなら難なくこなせるのかもしれないが、自分の骨董パソコンでは我慢のレベルを超えていた。
今回は心機一転、既存のブログサービスはやめて自前でブログを立ち上げる事にした。レンタルサーバーを借りてWordPressでの運用になる。 やってみると以外と簡単で、3時間ほどで立ち上げ完了。とりあえず新ブログ体制が整った。
思えば今回でブログは4回目だ。最初は契約しているプロバイダのLinkClubブログに始まり、アウトドアのナチュラムのブログ、そしてPosterousと続けてきたがどうもしっくりこず長く続かなかった。いちばんやってて楽しかったのはナチュラムのブログだったが、肩を痛めてバイクに乗れず、キャンプにも行けなくなったため、ネタがなくなりやめてしまった。
今度の新ブログは、最初方向性が決まるまでは雑多な内容になるが、いずれ方向性をハッキリさせて、意味のある情報発信が出来ればと考えている。
7月24日(土) (9日目)
日の出公園キャンプ場にて、朝5時起床。
雨に祟られた今回の北海道。最終日も当然のごとく雨です (>_<)
本日の予定は、「北の国から資料館」を見てから富良野を出発、歌志内にある「悲別ロマン座」に寄ってから苫小牧へ、翌日1:30出航の深夜便フェリーで大洗を目指します。
雨の中、タープを駆使して濡らさない様にしながら何とか撤収
9時に出発です。
「北の国から資料館」は富良野駅そばにあるので、すぐに到着です。
ここ「北の国から資料館」はマニア垂涎資料満載、まさに北の国からマニアの聖地といえる場所です。
...ですが、ここは写真撮影はOKなのですが、WEBでの公開はNG。
「泥のついた1万円札」とか「れいちゃんの制服」とかファンなら涙もののアイテムがたくさんあるのですが、紹介できないのが残念です。
2時間ほど「北の国から」ワールドにドップリ浸かったあと、いよいよ富良野を出発です。
「北時計」でコーヒーを飲んでひと休みした後、次の目的地の歌志内に向かいました。
歌志内は富良野から60キロほどの所にあり、以前は炭鉱町として栄えた町です。
なぜ歌志内に行くのかというと、ここが1984年に放送された倉本聰脚本のTVドラマ「昨日、悲別で」の舞台になった町だからです。
このドラマは天宮良、布施博のTVデビュー作で、ドラマ内で使われている楽曲の著作権の問題から、本放映の翌年に1度だけ再放送されたきり、DVDはおろかビデオ化もされていない幻の名作ドラマです。
昨年の北海道ツーリングではすっかり忘れていて、帰ってきてから後悔しきり。今年は必ず行こうと決めていました。
向かうのはドラマの舞台となった「悲別ロマン座」と、ドラマ上の架空の駅「悲別駅」です。
土砂降りの中、「悲別ロマン座」にたどり着きました。廃鉱の町らしく、何かもの悲しい雰囲気に包まれた町です。
続いて「悲別駅」に向かいます。
この駅は本当は「上砂川駅」といい、1994年に廃線になるまでJR函館本線の実際に使われていた駅です。
廃線になってからは、ドラマの影響で観光客が来るようになったため、記念館のようになっています。
昨年来るのを忘れた悔しさも晴らし、これで今回の北海道ツーリングの全スケジュールが終了です。
あとは道央自動車道を通って苫小牧まで行ってフェリーに乗るだけです。
高速を気持ちよく走っていると天気も晴れてきました。
しかし気持ちよく飛ばしすぎたせいか、どう考えても早く着きすぎます。
まだ16時で出航は深夜1時半ですので、どこかに寄る時間は十分にあります。
急遽、札幌で降りて市内観光をすることにしました。
で、札幌駅です。
ここで、やっと雨合羽を脱ぐことが出来ました。さっぱりです。
市内を軽く流した後、大通り公園に行ってみました。
大通り公園は、巨大ビアガーデンの真っ最中で、すごい人だかりです。
さて、そろそろ日も暮れてきたので、苫小牧に向けて出発です。
高速で行こうか迷いましたが、支笏湖を見てみたかったので下道で行くことにしました。
これが失敗だった!!
思ったより険しい山道で、さらに真っ暗...
峠あたりから雨も降り出して、雨足もどんどん強くなっていく。
合羽は脱いじゃったし... けどこんな真っ暗なとこで着替えるのも怖いし...
結局ずぶ濡れになりながら苫小牧まで走破しました。
支笏湖は、「とりあえず湖があった」くらいしか印象にありません。
苫小牧で運良くコインランドリーを見つけ、着ていた物を速攻乾燥機へ。
最後の最後まで雨に祟られてました.....
苫小牧港に21時着
出航手続きを済ませてもまだ時間に余裕ありすぎ!
しょうもないのでブラブラしたり、ベンチでうとうとしながら乗船時間の11時半を迎えました。
乗船待ちのライダー2人に
「雨で大変だったよね」
と話しかけたら、返ってきた答えは
「えっ、ほとんど雨は降らなかったですよ。今日くらいかな~」
との答え! 聞くと自分とはほぼ正反対に回ってきた様子。
どうやら雨雲を追いかけて旅をしていたようです! _| ̄|○
今回乗った「さんふらわあ だいせつ」は深夜便らしくレストランやミニホールといった娯楽施設が全くありません。充実しているのは自動販売機のみ。これは到着時間の明日19時45分まで時間つぶしが大変だ、と考えているうちに出航しました。
これで雨に祟られた2010年の北海道とお別れです。
出航後は、風呂 → ビール → 寝る のコースです。
7月25日(日) (10日目)
7時頃起床。天気は快晴!!!! でも海の上です!!! (+_+)
まあ、人生こんなこともあるさ! とあきらめて船内を探索します。
何もない... しょうもないので旅の記録整理をしたり、マンガを読んだりして時間をつぶしました。
で、19時。そろそろ大洗に着くのですが、窓の外を見るとピカッピカッと何か光ってます。
最初はサーチライトか何かかと思ったのですが、デッキに出てみるとカミナリでした。
大洗のフェリーターミナルが見えてくる頃には、生まれてこの方見たこともないような物凄いカミナリ!
記者会見のフラッシュのように間髪入れずピカり続けます。そのうち轟音と雷雨が...
<20100725 大洗港のカミナリ >
大洗港に着岸した時は、2回ほど間近に落雷しました。物凄い轟音でした!!
関東地方は記録的な晴天が続いているはずでは... 本当、ついてないかも
最後の最後にまた雨合羽を着て下船です。
その後、一気に常磐道から首都高で2時間半ほどで自宅までひた走りました。
2916キロの旅が終わりました。
<9~10日目 富良野~苫小牧~横浜 走行距離 435km>
<あとがき>
ずいぶん長い事かかってしまいましたが、これで2010年の北海道ツーリングレポート終了です。
前にも書きましたが、ホント考えられない位に雨に祟られた旅で、必ずしも最高!とは言えない旅でしたが、今から考えるといい事しか思い出せません。
オロロンや宗谷丘陵など楽しみにしていた道は、何とか雨に降られずに走れたし、ライダー同士の語らいは少なかったのですが、たくさんの人とのふれあいに接することも出来ました。
ただ、今回の旅で、自分が追い求めているのは、やはり昨年のような
「時間に縛られない旅」
だということを再認識した次第です。
ルートや予定を考えず、その時の気分で何をするかを決める。
やはりこれが最高です。いつかまたそんな旅をしてみたいと思う今日この頃です。
7月23日(金) (8日目)
日の出公園キャンプ場にて、朝5時起床。
天候、なんと晴れてます \(^0^)/
北海道に来てから朝から晴れたのは今日が始めてです。
本日の予定は、いちにち富良野近辺で、「北の国から」探訪です。
自分は「北の国から」マニアです。
ファーストシーズンからリアルタイムで観てきた世代ですので、この地は特別な想い入れがあるというより、聖地に近い感覚です。
昨年はこの日の出公園キャンプ場に1週間滞在し、北の国からを満喫しました。
今年は今日と明日の午前中までと、昨年と比べかなり短い滞在ですが、気持ちはすでに純と蛍です。
まずは、北の国からとは直接関係ないのですが、美瑛に向かいます。
ですがその前に大好きな直線道路 「ジェットコースターの路」 ははずせません。
<20100723 ジェットコースターの路 >
0円マップの表紙になる位の道ですので、ありきたりの言葉ですが、やはり 最高 です。
次に目指すは北海道有数の観光スポット、美瑛です。
...で美瑛に着きました。
基本ルートで、マイルドセブンの丘やら、ケンメリの木やらを通って、ひととおり美瑛を満喫!!
<20100723 美瑛マイルドセブンの丘 >
厚い雲があるものの、美瑛の美しさを堪能し次の目的地、ファーム富田に向かいます。
ファーム富田はいくつかある観光農園の中でも一番有名で、この時期は満開のラベンダーを見に多くの観光客が訪れます。
今年は昨年の冷夏の影響で満開とはいえないものの、紫色の染まった大地に心が和みます。
定番のラベンダーソフトはほんのりとラベンダーの香りがして美味でした。
さて、昼になったので、次は富良野駅近くで昼飯です。
目的地は 「くまげら」 という富良野駅のそばにある居酒屋?です。
この店は「北の国から」で会合などのシーンによく使われた店で、マニアなら必ず行かなければならないスポットです。
昨年の北海道ツーリングでここに来た時は写真を撮っただけだったのですが、今回は、くまげら名物の
牛さしみ丼を食することに決めていました。
これが噂の 牛さしみ丼 です。
今ブログを書いているそばからヨダレが出てきそうなほど美味しかったです!!
次に目指すはこれまたマニアの聖地、ラーメン屋の 「三日月」 です。
「三日月」 は、純が丸太小屋が火事になったのは自分のせいだということを五郎に打ち明けた名シーンで使われた有名な店です。
「子供がまだ食ってる途中でしょうが!!」 という名ゼリフも有名です。
ですが!! 残念ながらこの店は昨年の9月末で閉店してしまいました。
昨年行ったのが8月ですから、ホント最後のギリギリでこの店のラーメンを食べることが出来たみたいです。
これが昨年1週間で4回食べた三日月のラーメンです。
シンプルな中華そばなのですが、本当美味しかったです!!
さて、感慨に浸っているまもなく、次の目的地です。
腹もふくれたところで、やはり美味しいコーヒーが飲みたくなります。
で、次の目的地は、これまたマニアの聖地 「北時計」 です。
この 「北時計」 は、しゅう(宮沢りえ)が純にAV女優をやっていたことを手紙を読んで伝える、「北の国から」の中でも珠玉の名シーンで使われた喫茶店です。
アイスコーヒー美味でした。
さて、次はメインイベント、黒板一家が住んでいた麓郷に向かいます。
麓郷は富良野からバイクなら小一時間ほどの所にあり、ここに「北の国から」の舞台になったスポットや手作りの家などがあり、観光地となっています。昨年来たときに、麓郷の基本観光スポットはじっくり探訪したため、今回は走りながら「北の国から」の雰囲気を感じてくることにしました。
五郎さん手作りの家がある「拾ってきた家~やがて町」、「石の家」と回っていきます。
今回は中には入らなかったため、下の写真は昨年撮影したものです。
「石の家」の売店でカットメロンを。美味でした。
途中、中畑のおじさんの「中畑木材」に寄って、
麓郷から富良野市街に抜ける裏道、通称「北の国からロード」で帰路に向かいます。
牧草ロールがきれいです。
純とれいちゃん(横山めぐみ)が、雨宿りした小屋(今はもうない)はこのあたりかな? などと想像しながら走ります。
途中、これまたマニアならはずせないスポットがふたつあります。
ひとつ目は純と蛍が通っていた「中の沢小学校分校」です。
去年も見たのですが、今年は残念ながら外壁工事中でした (>_<)
もうひとつは、草太兄ちゃんの家、「フェニックス牧場」です。
今年は口蹄疫騒ぎの影響で、北海道の牧場も人の出入りに神経質になっているようで、これ以上近くには行けませんでした。
そうこうしているうちに、日も暮れてきたのでキャンプ場へ戻ります。
で、帰ってきて軽い食事を済ませたとたん、またやってきました。
そう、雨です。
まあ、帰ってきてからだし、今日は北海道へ来て初めてまともに走れた事を感謝しつつ、早めの寝床に着きました。
21時頃就寝
<8日目 富良野、美瑛、麓郷 走行距離 172km>
2010年北海道ツーリングレポート 8日目 終了
7月22日(木) (7日目)
羅臼国設野営場にて、朝4時起床。
天候、どんより曇り ( . .)
気を取り直して、朝一で露天風呂 「熊の湯」に入りに行きます。
が、
行ったらやけにお湯が少ない。
ちょっとお湯に手を入れたらやけど寸前の熱さです。
よく見てみると、お湯の中に水を継ぎ足しているホースが湯の外に出てる!
これはとても入れそうもないので、残念ながらあきらめてテントに戻ります。
ゆっくり朝コーヒーの後、撤収開始。
8時に撤収完了です。
本日の予定は、開陽台~屈斜路湖~美幌峠~阿寒湖~上士幌航空公園キャンプ場の予定です。
オホーツク海の海沿いを走っていると、ポツリポツリときました。毎日恒例の ”雨” です。もう慣れっこです。
そうこうしてる内に、大好きな直線道路に着きました。
通称「ミルクロード」。中標津市街から開陽台へ向かう途中の約10Kmに及ぶ一本道です。
昨年は天候バッチリで最高の気分で走り抜けた道です。
が、
今年は雨足もだんだん強くなってきて、満足度10分の1といったところ?
開陽台にたどり着きました。雨でぜんぜん気分が良くありません。
地球も丸く見えません (+_+)
ここで今日のルートの考え直しに迫られました。
ここからは、屈斜路湖~美幌峠~阿寒湖~上士幌航空公園キャンプ場の予定でしたが、どう考えてもこの雨と霧では美しい景観どころか峠越えは危険を伴います。
あきらめました。
今日は移動日と決めて、翌日に行く予定だった富良野まで一気に走ってしまおう。
そうすれば大好きな富良野で2泊、去年と同じようにマッタリキャンプできる!
※去年は富良野に1週間滞在しました。
そうと決まれば早速出発です。
雨の北19号線。有名な直線道路ですが、坂を下ったあたりで工事してて気分半減。
そこからは観光地をすべてスルーし、無料化された道東自動車道~十勝清水IC~狩勝峠~富良野というルートで一気に走り抜けました。
17時頃、上富良野日の出公園キャンプ場着
すぐに設営完了。
買出しと、疲れきった体を癒すために近くのお風呂へ出かけます。
さすが北海道。スーパーの駐車場にこんな車がずらり!
帰ってきてからまた雨!
あとは軽く飯食ってからマッタリしてました。
去年きた時はちょうどお盆のハイシーズンだったため、人気のこのキャンプ場は日が暮れても次から次へとライダーたちが押し寄せ、楽しい1週間を過ごせました。しかし今回はシーズンイン前だったせいか、はたまた雨のためか、いまいちライダーもまばらで、楽しみにしていた交流を持つことは出来ませんでした。
まあ、マッタリも悪くはありませんが。
ほぼ移動だけに費やした散々な1日でしたが、明日は楽しみにしている「北の国から」探訪です。
1日予定を早めて富良野に来たのでゆっくり回れそうです。
21時頃就寝
<7日目 羅臼~上富良野 走行距離 443km>
2010年北海道ツーリングレポート 7日目 終了
7月21日(水) (6日目)
サロマ湖畔「船長の家」にて7時頃起床
天候は曇りです。
昨日たらふくカニを食べたので、まだ消化不良気味です。
でもさすが食事で有名な宿。朝から豪勢な朝食です!
昨晩いろいろお世話になった相部屋の方々に挨拶して8時過ぎに出発です。
本日の予定は、斜里から知床横断道路を通って羅臼まで行く予定です。
走り出して30分位経過したところで、毎日恒例の ”ポツリ” が来ました。
早速セイコマに寄ってカッパに着替えます。
11時頃 「道の駅うとろ」着
一服して近くにある「ゴジラ岩」に向かいます。
やっぱゴジラの形してる!
さて、次は今回の旅の中でもメインイベントの一つ、「知床横断道路」です。
昨年は天候にも恵まれ、最高の走りを楽しむ事が出来ました。
<参考>昨年の知床横断道路
今年はちょっと曇り空ですが、雨は上がっています。
しばらく走ると雲の間から羅臼岳が見えてきました。やっぱ気持いい!
と、 ここまでは順調でした。
知床峠付近で急に深い霧が!
みるみるうちにほとんど視界が無くなってきました。
たまらず知床峠のPAへ。
そこで撮った写真が、今回知床横断道路唯一の写真です。
その後は前を走る車のテールランプを頼りに、何とか羅臼までたどり着きました。
残念ながら今年の知床横断道路は、こんな感じで終わりました。(/_T)
14時頃 「道の駅羅臼」着
一服後、「北の国から」マニアの自分としてはまず、「純の番屋」に向かいます。
ここは2002年に放映された「北の国から 2002遺言」で使用された純が住んでいた番屋が移設されて定食屋さんになってます。
昨年来た時にホッケ定食を食べたので、今回は見るだけです。
羅臼ビジターセンターへ
リアルな剥製です
15時頃 本日の幕営地 「羅臼温泉野営場」着
設営完了! おとなりさんはヒルバーグです。
さっそくすぐ横にある、激アツで有名な露天風呂 「熊の湯温泉」へ
やっぱ ”激アツ” でした。でも森と川に囲まれたな天然温泉は、ワイルド感抜群で気持よかったです。
テントに戻ると、すぐ横に鹿がいます。 (^O^)/
こんな看板も (゚o゚)
今回の旅で初投入の「SOTO レギュレーターストーブ ST-310」です。ご飯を炊いてます。
ガソリンと比べて手軽に扱えます。
食後コーヒー。至福のひと時。
その後、車中泊で北海道を回ってるおじさんに小アジのフライをゴチになりました。
今日1日近くで釣りをしてたそうで、その成果だそうです。
ビール飲みながら談笑していると夜も更けてきました。
写真がないのが残念ですが、キタキツネが傍まで来てこちらの様子をうかがってます。
おじさんにお礼を言って散会
22時頃就寝
<6日目 サロマ湖畔「船長の家」~知床横断道路~羅臼 走行距離 231km>
2010年北海道ツーリングレポート 6日目 終了
7月20日(火) (5日目)
ん、晴れてる?
晴れまではいかないまでも曇り?
いや曇り部分的晴れ 見たいな感じです!!
昨日完全メンテを行った装備を即行でバイクに積み込み、チェックアウト。
6時に出発です。
本日の予定は、朝一でオロロンライン(天塩まで)を往復してから宗谷岬に到達。
宗谷丘陵、村道浜猿払エサヌカ線を走ってサロマ湖畔にある「船長の家」まで行く予定。けっこう距離あります。
稚内市内を抜け海沿いまで出ると、雲は多いながら晴れ間が広がっています。海もきれいです。
これがオロロンラインです!! 昨日の国道40号線とはえらい違いです!
天候は晴れたり曇ったりというところですが、昨日までの天気を考えると贅沢は言ってられません。
オトンルイ風力発電所です。28基の風力発電はやはり圧巻です。
牧草ロールと、雲のすき間から現れた利尻富士
<20100720 オトンルイ風力発電所>
<20100720 日本海オロロンライン>
最高の気分でオロロンラインを走りきり、稚内に戻ってきました。
9時 再スタートです。
まずはお決まりの日本列島最北端、宗谷岬を目指します。
宗谷岬着。
ここまで来ると北の果てまで来た事が実感できます。
ひと休みして、宗谷丘陵に向かいます。
この道は、広大な牧草地帯と、間近で風力発電施設を見る事の出来る、ホッカイダー絶賛の道の一つです。
そして、一番のお気に入りの直線道路、村道浜猿払エサヌカ線です。
他の車はほとんど走ってません。約10分、一気に牧草地帯の直線を走り抜けます。
<20100720 村道浜猿払エサヌカ線>
走っていると何やら人だかりが。警察官までいる。事故?
クマが出たみたいです!!
早速バイクから降りてみんなが見ている方に目を凝らすと、
いました! かなり遠くに米粒ほどのクマさんの姿が!!
北海道2度目にして初めての生クマです!
そしてサロマ湖畔の有名店 北勝水産で、おなじみ「ホタテバーガー」をいただきます。
17:00 本日の宿、「船長の家」着
ここは食べきれないほどのカニ料理と格安の宿で有名です。
去年の北海道ツーリング中、ここに泊まった人から話を聞き、今度北海道に行ったら絶対泊まろうと思っていた所です。
夕食は噂にたがわずすごいボリューム!!
相部屋になった方は3人。
2人は関東の方で、共に20年近く毎年渡道しているベテランホッカイダー。
1人は在道の方で、道の駅を巡って旅を続けているそう。
新米ホッカイダーの自分としては、いろいろ奥の深い話を聞けて有意義な一夜になりました。
<5日目 稚内~オロロンライン~宗谷岬~サロマ湖畔「船長の家」 走行距離 479km>
2010年北海道ツーリングレポート 5日目 終了
7月19日(月) (4日目)
しょうがないのでテント内で片づけられるものを片づけ、コーヒー飲みながらラジオで情報収集です。
やはりこの留萌一帯は昨日からとてつもない気圧の狭間にあるらしく、少なくとも今日の午前中までは不安定な天候が続くとのこと。
これは、雨風のすきを突いて撤収する作戦しかありません。
管理人のおばちゃんに頼んで、チェックアウト時間を午前中いっぱいまで延ばしていただきました。
11:00 一瞬雨が止みました。
即効撤収です。いつもは小一時間かかる撤収を20分で終え、やっと脱出体制が整いました。
缶コーヒーでも飲んで出発と思ってたところ、管理棟のおばちゃん二人から呼び止められました。
「昨日は大変だったね~」
「カップヌードルでも食べて行きなさい」
温かいお言葉に甘え、カップヌードルとおにぎりを頂くことに。
朝から何も食べてなかったので、本当美味しかったです。
旅の途中、特にうまくいっていない時に受ける優しさは本当にうれしいものです。
おばちゃんたち、本当にありがとうございました。
11:30 みさき台キャンプ場を出発
本日のルートは、オロロンラインを北上して宗谷岬に到達、宗谷丘陵、村道猿払エサヌカ線を走ってクッチャロ湖畔キャンプ場に行く予定。
でしたが、出発時間が大幅に遅れた事。天候が悪い事。装備がビショビショでメンテしたい事。
を考え、稚内で宿をとる事にしました。
途中、セイコマでおにぎりをパクつき、雨の中オロロンラインを北上します。
しかし、いくら走ってもオロロンっぽい道にならない!
間違えようのない道なので、地図も見ずナビもOFFで走ってましたが、まさか道間違えた?!
間違えてました ○| ̄|_
1本内陸側の国道40号線を走ってました!
もうすでにかなり走ってしまい、雨の中戻る気力もありません。
あきらめてそのまま稚内まで行く事に...。
雨の国道40号線 (バイカーでオロロンはずして40号走った人は少ないだろうな...)
最大の楽しみだったオロロンをスルーして意気消沈のまま稚内着。
携帯で宿を予約して、チェックイン。
すぐにビショビショの装備のメンテにかかります。
ホテルの人には大変申し訳ないのですが、部屋で設営完了!
コインランドリーで衣類も洗濯乾燥し、やっとひと段落したら既に18時。
疲れたので近場で一杯ひっかけることに。
せっかく北海道にいるのだから名物料理でも食べに行けばいいのに、結局ヨーローです。
ビールと串焼き、ホッケで御満悦!
ほろ酔い気分で今日1日を振り返ります。
一言で言うと、あまり意味のない1日でした。
雨だし、ほとんど走ってないし、オロロンをスルーしちゃったし、キャンプしてないし...。
でも、オロロンだけはやはりあきらめきれません!
<参考> 昨年のオロロンライン
天候にもよりますが、あす朝一で走りに行こう! 天塩までだったら往復で130km位だし。
決定です。早々に居酒屋を切り上げ、ホテルで片づけ。
24時頃 就寝
<4日目 初山別みさき台公園キャンプ場~稚内 走行距離 112km>
2010年北海道ツーリングレポート 4日目 終了
7月18日(日) (3日目)
朝5時起床。 雨です...。
天気予報通りとは言え、外れてくれる事を祈っていましたが、最近の天気予報は正確です...。
コーヒーを飲みながら本日の行程を再確認します。
予定では、三国峠~層雲峡を抜けて旭川へ。そこから留萌から日本海へ、オロロンラインを通って
初山別にあるみさき台公園キャンプ場を目指します。
天気予報は間違いなく雨。濃霧の中の峠越えは怖い気がするし、何といってもオロロンラインは旅のメインイベント、ルートの変更も考えましたが、そうこうしているうちに徐々に雨足が弱まってきました。
いっきに撤収を終え、予定通りのルートで出発を決めました。
国道273をひたすら北上していると、徐々に雲の切れ間から明るい日差しが差し込んできました。
高度が増すごとに天気は回復し、心配していた霧はまったくありませんでした。
昨年も通りましたが、この三国峠へ抜ける白樺並木の道は、北海道っぽいスケール感のある道です。
いつ熊が出てきてもおかしくないような雰囲気は、北海道を走っていることを実感させてくれます。
そうこうしている内に三国峠です。昨年は絶景ポイントをスルーしてしまったのですが、今回はバッチリ写真に収めました。
層雲峡です。
ここも北海道のスケールを肌で感じさせてくれるポイントです。
旭川で有名なラーメン店を探しましたが見つからず、市内をウロウロ。
あきらめて、留萌のセイコマで一休み。
ここまでは順調でした。
セイコマでおにぎりをパクついてると、ポツリポツリと小雨が降ってきました。
「これからオロロン入るのに、なんでやねん!」
と、なぜか大阪弁で憤慨しつつもカッパに着替えて出発しました。
オロロンに入ると雨足はさらに強まり本降りに...。
オロロンラインは後半のサロベツ原野の横あたりがメインですが、前半の海沿いもかなり気持ちの良い道です。
特に丘にある風力発電のあたりは絶景ポイントといえます。
絶対写真に収めたかったのですが、雨で気持ちが萎えてしまい、こうなるとただ走るだけのマシンと化します。
みさき台キャンプ場に近づくころには、完全にどしゃ降りに...。
もう少し早く降り出していたらキャンプはあきらめて宿泊にしたのにと考えつつも、もう後戻りも出来ず、
キャンプ場にたどり着きました。
管理棟に行くと受付のおばちゃんが、
今日は、豪雨、強風、洪水、雷、その他、ありとあらゆる警報が出てるので
キャンプはやめて、バンガローかすぐ横の宿泊施設に泊まった方が良いと忠告してくれました。
電話番号を聞き、すぐ連絡してみましたが3連休中とあって満室。腹をくくってテント泊を決心しました。
キャンプサイトを見渡すと数組の自動車キャンパーがテントを張っており、完ソロではないと、一安心。
即効でテントを張ります。少しでも風よけになればと木の横に張りましたが、そこがトイレのすぐ横。
昨年のロケーションと比べると、まさに天と地です(悲)
風で吹き飛ばされないように、テントのひもを木に結びつけました。
このキャンプ場はすぐ横に温泉施設があります。まずはゆっくり入浴タイム。自炊はもう面倒なのでここでご飯食べました。
日帰り入浴が22:30までとのことですので、最悪それまでここに避難してようかと思ってましたが、外を見ると雨足は若干弱まってる模様。する事もないのでテントに戻ってビールでも飲んで寝ちゃう事にしました。
で、戻ってテントイン。
したとたん、もの凄い豪雨と暴風!!
それから一晩中、嵐の中の極限キャンプとなりました...。(泣)
ただ、さすがは山岳系メーカーアライのテント。風で大きく揺れますが、なぜか安心感があります。ペグダウンもちゃんとしたし、木にひももくくりつけてるので大丈夫でしょう。と勝手に解釈し、ビールイン後、23時にはいつの間にか就寝してました。
ちなみに、この日初山別では7月の降雨量観測史上最高の126mmに達したそうです。(゚o゚)
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<3日目 上士幌~初山別みさき台公園キャンプ場 走行距離 355km>
2010年北海道ツーリングレポート 3日目 終了
7月17日(土) (2日目)
フェリーの中です。
昨日早めに寝たためか、朝6時に起床。11時には苫小牧に着きます。
まだ体調は戻りませんが、暇なので船内をウロウロしてると、こんなポスターが
やはり北海道でもかなりピリピリした状況になってるみたい。牛見れるかな?
てな事考えてる内に11時。苫小牧港に到着です。天候曇り。去年は着いたとたん雨だったので、幸先良い出足です。
う~ん、来た! また今年も来れた!! 北海~道!!!
心の中で叫びながらも、冷静を保ちます。(^_^;
で、まずは腹ごしらえ。ホッキ丼で有名なマルトマ食堂へ向かいます。
ちょうど昼時に差し掛かった時だったので、結構並んでます。
20分ほど待ってやっと入店。注文したのはホッキ丼です。
昨年食べた時、そのあまりに新鮮でコリッコリのホッキに舌鼓したのですが、本当は今年はもう一つの名物、ボリューム満点のホッキカレーを食べようと思ってました。
ただ、前々日よりの風邪で体調がいまいち思わしくなかったため、今回もホッキ丼です。
美味っ...!! コリッコリです!!
腹もふくれた所で、いよいよ北海道ツーリングのスタートです。
本日のルートは苫小牧から国道274を通って、日勝峠を通り、上士幌の航空公園キャンプ場を目指します。
しばらく走ると、こんな感じの北海道っぽい道になってきました!!
天候も晴れてきて、否が応にも気持ちはヒートアップしてきます。
道の駅 樹海ロード日高で小休止。
めちゃくちゃ暑いです。で、
日勝峠到着。十勝平野が一望できます。
その後は順調に走れて、上士幌に16時頃に着いちゃいました。
キャンプインするにはまだちょっと早いかな?
そこで翌日行く予定だったナイタイ高原に行ってからキャンプ場に行くことにしました。
昨年も4回も走ったナイタイ高原。やはり最高でした。特に入り口から坂を上ってからのカーブを抜けた所の景観は
「空に上っていくような気持ちよさ」!!
<20100717 ナイタイ高原 Run>
駐車場までたどり着くと、ちょっと雲は多かったけど十勝平野を一望できました。
しばし日常生活を忘れ、北海道の大自然に身を任せ、至高のひと時を過ごす事ができました。
<20100717 ナイタイ高原 をグルリ>
このナイタイ高原を1日早く行った事は大正解でした。翌日は朝から大雨。
ここはかなり楽しみにしていた所だったので運が良かったです。
帰り道に牛を間近に見て
無事、上士幌町航空公園キャンプ場に18時頃着
即効設営して、近くにある温泉施設でゆっくり。
セイコマで買出しして19時半にはマッタリタイムです。
遥か彼方にハーレーらしきライダーがいるようですが、ちょっと離れすぎ。横にカップルのライダーが着ましたが、さすがにカップルに割って入るような野暮な事も出来ず、今夜はソロで酒宴です。
ジンギスカンを作ったのですが、飲み過ぎで写真なし。
21時頃には就寝
<2日目 苫小牧~上士幌 走行距離 251km>
2010年北海道ツーリングレポート 2日目 終了
7月16日(1日目)
1日目は早朝に自宅を出て19時40分出航の仙台港~苫小牧の太平洋フェリーに乗船する行程です。
朝5時に出発の準備を終え、いよいよ旅立ち。天候曇り。無事ここまで帰ってこれることを祈り、心が引き締まります。
東名横浜インターから首都高に乗り東北道へ。道も空いていて快調なスタートです。
上河内SAで途中休憩
おっ! 餃子発見!
ビールはなしですが美味でした。(^_^)V
ちなみに去年の初日も宇都宮の有名店「みんみん」で餃子を食べた餃子野郎です。
駐車場で東京から来て東北を回るというハーレー君としばし談笑後、上河内SAを出発。
しかし出発してものの5分も経たないうちにポツリポツリと雨らしきものが....。
徐々に雨足を強めあっという間に土砂降りです(ToT)
たまらず???SAに避難
するとそこに先ほど話したハーレー君が。
雨が落ち着くまで彼と2度目のしばし談笑。
去年の北海道の話をしたら、来年は必ず行くといってました。
そうこうしてる内に雨も止んできて出発です。
ハーレー君、来年北海道で再会しましょう。(^_^)V
その後は何度か雨にやられながらも、15時頃に何とか仙台港そばまで到着。
とりあえずビショビショ状態を立て直すべく、温泉施設でゆっくり入浴。
その後、去年も何度か利用したネットカフェ「フリークス」で休憩&ネットでの情報収集です。
18時半に仙台港着
乗船手続きを済ませ、バイクを乗船口まで移動させると、ポリス系ハーレーとトライクの集団が!
この後、北海道の雨。大変だったろうな...。
19時過ぎに無事乗船
ビールでゆっくり旅の計画を練り直そうと思っていたのですが、出発前日にひいた風邪(ついてない!!)
が雨に打たれたためか悪化してきてダウン!!
21時には床に入っていました。
<1日目 横浜~仙台 走行距離 440km>
2010年北海道ツーリングレポート 1日目 終了
いよいよ迫ってきた2010年度北海道ツーリングの大まかなルートが決まりました。
行きは仙台~苫小牧のフェリーで、仙台までは1日かけての自走、帰りは苫小牧~大洗です。
ルートに関しては、今回はゆっくり考えている時間がないため、昨年走った所でお気に入りの場所をセレクトして組んでみました。
かなりベタなルートです。
苫小牧から昨年旅の起点として使った上士幌町航空公園キャンプ場に向かい、そこから三国峠を通って留萌からオロロンラインを北上、
宗谷岬を回って知床横断道路へ、羅臼から開陽台、美幌峠。再び上士幌に戻って、最後に富良野から苫小牧へ、というルートです。
★今回の旅の楽しみ その①・・・・・直線系
オロロンライン、猿払エサヌカ線、北19号、ジェットコースターの丘等、昨年の感動をもう一度!
★今回の旅の楽しみ その②・・・・・サロマ湖畔 船長の家
昨年いろいろな人から噂を聞き、次回行ったときは絶対行こうと決めていた宿。食べきれないほどのカニ尽くしだそうです。
★今回の旅の楽しみ その③・・・・・倉本 聡シリーズ 「北の国から」、「昨日、悲別で」探索
昨年も富良野に1週間滞在し、「北の国から」は探索しつくしたのですが、マニアとして北海道に行ったからには、聖地「北の国から資料館」を外すわけにはいきません。あと去年食べ損ねた「くまげら」の牛さしみ丼を食べて、お気に入りの喫茶店「北時計」でマッタリしようと思います。
「昨日、悲別で」は去年すっかり忘れてて行き忘れた所です。富良野のそばの歌志内に、悲別ロマン座と悲別駅(上砂川駅)があるそうなので行ってみようと思います。
★今回の旅の楽しみ その④・・・・・キャンプ道具の検証
この1年間、北海道ツーリングを想定して揃えてきたキャンプ道具が実戦で機能するか?楽しみです。
★今回の旅の楽しみ その⑤・・・・・一期一会
どんな出会いがあるかな!?
★住系
・テント (アライ ドマドーム ライト 1)
・タープ (snow peak ライトタープ ペンタ)
・シュラフ (mont-bell U.L.アルパインバロウバッグ#3)
・マット (mont-bell U.L.コンフォートシステム エアパッド120)
・ピロー (mont-bell U.L.コンフォートシステム ピロー)
・テントシート関連
・ノースイーグ・ローコンパクトスリムチェアDX
・CRAZY CREEK ヘクサライトチェア
・Colemanアルミツーリングテーブル
★住系2
・コンビニ袋、ゴミ袋
・アルミホイル
・食器用洗剤関連
・洗顔関連
・ティッシュ、新聞紙
・ゴミ袋フッカー
★火系
・SOTO レギュレーターストーブ (メイン)
・PRIMUS P-171バーナー (予備)
・ガス (CB缶250)、予備ガス (CB缶110、PRIMUS PG-110)
・詰め替え君&ジョイント
・スティックターボ (UNIFLAME)
・ウィンドクリーン (ハイマウント)
★灯系
・GENTOSエクスプローラー EX-757MS (メイン)
・PRIMUS P-541マイクロランタン (予備)&マントル
・マグライトAA
・ヘッドランプ (PETZLティカプラス)
★食系
・アルミパーソナルクッカーセット (snow peak)
・フライパン (OPTIMUS)
・ミニロースター (UNIFLAME)
・シエラカップ2枚
・マグカップ (snow peak220ml)
・ミニざる
・折りたたみクーラーボックス(8.6L)
・ナルゲンのポーチ(調味料入れ)
・Opinelナイフ、まな板
・カラトリー関連
・100均アルミ皿
・ドロメダリーバック (MSRの水筒)
・食材 (米5合、缶詰、パスタ、カレールー)
★焚系
・ネイチャーストーブL (UNIFLAME)
・牛皮製グローブ
・火ばさみ
★衣系
・MA-1
・長袖シャツ
・Tシャツ(3枚)
・フリースジャケット
・ももひき
・ショートパンツ
・下着類
・サンダル
・雨具類
・入浴セット
★その他系
・蚊取り線香、防虫スプレー
・メンテナンス系 (輪ゴム、テープ等)
・乾電池
・ファーストエイドキット
・デジタル温度計
・トランジスタラジオ
・充電池、ケーブル、メモリ関連
・Emone (Windows Mobile端末)
・ナビ (Broadzone BZN-350)
・バイク転倒防止用の板
・Angler's House防水バッグ
・灰皿 (ビッグサイズの携帯灰皿)
・電子タバコセット
・コンデジ、携帯
・メガネ2セット
・スペアキー
・三脚
・手帳
・車検証
・マップ類
・折りたたみ傘
2009年7月29日(水) 晴れ時々曇り 旅14日目 <上士幌~三国峠~美瑛>
いかにも北海道といった感じの原生林に囲まれた道を走り抜け、糠平湖を通過し2時間ほどで三国峠到着。
峠の休憩所といった所ですが、この休憩所の手前の橋の所に有名な絶景ポイントがあります。全く前知識がなかったため、この時は見ただけで写真は完全スルーしてしまいました。下の写真は2010年に行った時のものです。
さらに小1時間ほど走ると、切り立った岸壁が大迫力の道に。層雲峡です。ここもあまりに気持ち良く走ってしまったため写真撮ってません。(T_T)
下の写真も2010年に行った時のものです。
ここからは国道39号線をぐるっと旭川周りで富良野を目指します。富良野へは15時位に着いたのですが、ここまでの行程がよく思い出せません。まあ、あまり印象深い事もなく走っていたのだと思います。
で、富良野の事なのですが、実は私は「北の国から」マニアです! この地は初めてだったのですが、ここは聖地といってもよいほどの思い入れがあります! 「北の国から」に関しては旅の後半でじっくり書かせて頂きますが、走っていて「富良野」の標識が見えた時の感動を今でも覚えています。
富良野国道を走っていると、道路沿いにものすごく広大で色鮮やかなお花畑が。かんのファームです。ちょうどラベンダーの時期だったため青紫が一面に広がりほんと綺麗でした。
さて、ここで時間もすでに15時半。そろそろ今日の寝場所を探さなければなりません。地図で調べると上富良野に、日の出公園オートキャンプ場というのがあります。とりあえずここに向かうことにしました。
しかし、しばらく走るとまたしても雲行きが怪しくなってきて、ついにパラパラと小雨が…。
と思った途端、急に土砂降りに……。
避難場所を求めてあたりを見渡すと、ちょうどイイ具合の駐車場発見!
忘れてしまったのですが、誰か偉い人の記念館だったと思います。
ここでまた考えました。この雨の中キャンプするのは避けたい。と思った時に0円マップに載ってた有名なユースホステルのことを思い出しました。美瑛にある「ポテトヴィレッジ”美瑛ポテトの丘」です。
自分はユースホステルはあまり好きではありません。寝る場所だけは一人でないと落ち着かないからです。
でも料理がとても美味しいと書かれていたので、それに惹かれとりあえず電話してみることに。
聞いてみると、相部屋だが空きはある。しかし料理はもうダメで素泊まりになるとのこと…。
期待していた料理もなしで、しかも相部屋。ちょっと考えましたが、何かもう面倒くさくなって申し込んじゃいました。
しばらく雨宿りをしていると雨も止み、雲の間から晴れ間も。通り雨だったみたいです。
ここから美瑛までは小1時間ほどで到着しました。
で、せっかく美瑛に来たので少し走ってみることに。とは言っても北海道知識が限りなくゼロに等しい自分にとっては、北海道指折りの観光名所の美瑛も「何となく聞いたことがあるなぁ」程度です。
0円マップを見ながら走ってると「マイルドセブンの丘」と書かれた小さな標識を発見。何となく標識に従って走ってみると、そこには美しく拡がる田園風景が。
毎度のことながら写真は撮ってないのですが、下の写真は2010年のものです。
さらに走っていくと、何やら立派な一本木発見。近づいてみると観光客がいっぱいいます。「ケンとメリーの木」そう、ケンメリの木です。
自分はまさにスカイライン世代なので、リアルタイムであのCM見てます。(^^)
しばらく走ってるともう18時。そろそろ今夜の宿「美瑛ポテトの丘」に向かいます。
が、また最後の詰めの甘いナビ。迷いに迷って、たどり着く頃には陽も暮れかかってました。(^^ゞ
チェックインを済ませ案内された部屋はバンガロータイプの離れです。どうやら先客が1人いるみたいですがどこかへ行ってるみたいで不在でした。本館の方へ行ってみると食堂に人が集まってます。夕食時間が近づいているらしく皆楽しそうです。(T_T)
しょうがないので自分も何か食べに再出発。富良野国道沿いにあるラーマン屋さんに入りました。期待してなかったのですが、味噌ラーメンと餃子は結構美味でした。
それから帰ってひと風呂浴びて部屋に戻ったのですが、まだ誰も戻っていないみたいです。きっとユース名物の食後の歓談会真っ盛りといったところか。何か疲れてきたので一人寂しく就寝することに。
ユースホステルなのにこんな孤独な奴は珍しいだろうなと考えているうちに眠っちゃいました。
~続く
7月29日<上士幌~三国峠~美瑛>
走行距離: 約192km
2009年7月28日(火) 晴れ 旅13日目 <帯広~上士幌>
昨日ホテルで装備関連のメンテを十分に行ったため気分もスッキリ。9時頃上士幌目指し出発しました。
ここから上士幌までは40キロ位、小一時間でキャンプ場に着けると思います。
と言ってる間に上士幌航空公園キャンプ場は目の前です。
まだ、10時過ぎ。いいかげんキャンプインには早すぎるので、4日前に行ったナイタイ高原にもう一度行ってみることに。
この間はいまいち天候が悪かったのですが、今日はバッチリです。(^^)v
11時半、ナイタイ高原着。
広大な十勝平野が一望できます。
前回も書きましたが、ここナイタイ高原は本当に北海道のダイナミックさを肌で感じることのできるスポットです。
そりゃそうです。この牧場は総面積約1,700ha(東京ドーム358個分)もあるそうで日本一だそうです。
帰りにネスカフェのCFに使われたツリーハウス発見!
ナイタイ高原をたっぷり堪能してキャンプ場に戻って来ました。でもまだ14時前。
もうひとっ走りしてくることに。場所はこれまた前回走って最高だった足寄方面へ。
相変わらず写真が全くなく悲しい限りなのですが、牧場だらけの北海道チックな道を夢心地な気分で走り続けました。
こちらも今となっては残念なのですが、当時はiPhoneもなく安物ナビにはGPSログ機能がなかったため、細かな経路は今となっては不明です。
足寄湖そばの道の駅でひと休みして引き返し、16時位にやっとキャンプイン。
キャンプ場についた頃はほとんど他のキャンパーはいなかったのですが、ひとっ風呂浴びて、買出しして帰ってくると、バイク乗り含めかなりのテントが張られていました。
ですが、今日は明日からの旅のメインイベント「道北の旅」の計画をみっちり立てなければなりません。交流は諦めて早めにテントイン。
地図とにらめっこしながら夜は更けていきました。
~続く
7月28日<帯広~上士幌>
2009年7月27日(月) 雨 旅12日目 <洞爺湖~室蘭~苫小牧~帯広>
朝風呂を浴びてからゆっくり9時頃ホテル出発です。洞爺湖の周りをゆっくり回遊しながら、国道703号線に入ると、目の前に昭和新山がそびえ立っていました。
あいにく霧がかかっていて絶景とはいきませんでしたが、「これが有名な昭和新山か」としばし納得。写真はないのですが、この少し先でもっと間近で見た昭和新山は険しい崖が切り立っていて迫力ありました。
その後、国道453に交差するまでの山間部は、晴れていれば最高の道なのでしょうが、雨と霧の中での走りは辛かったという思い出しか残っていません。(T_T)
何とか山道を走破し、国道453から胆振国道で室蘭を目指します。当然室蘭に関する基礎知識はゼロ。着いたらどこ回るか考えようというアバウトな旅です。(^_^)y-~~~~
室蘭に近づくと大きな橋が。白鳥大橋です。
JR室蘭駅で観光スポットを散策すると、地球岬という所が一番端っこの岬みたいですので、そこに向かうことにしました。
※この日は出だしから雨&霧&山道ときつい走りが続き、気持ちがめげていたためほとんど写真を撮ってません。(+_+) 何で地球岬まで行って写真撮らなかったんだろう??
地球岬はけっこう細い市街地を通って30分ほどでたどり着きました。が…晴れていればものすごい絶景らしいのですが、霧で何にも見えませんでした…。
今日は帯広まで戻る予定ですので、先はまだ長いです。早々に地球岬&室蘭を後に苫小牧を目指します。国道36号線、通称室蘭街道で一本道です。
ここから苫小牧までの道のりは、この旅全体の中でも最も辛い走りだった記憶があります。土砂降りの雨、寒さ、給油ポイントを誤ったためガス欠の恐怖、ただ走るだけのマシンと化していました。景色も何も覚えてません。
苫小牧に近づいた頃、やっと近くにガソリンスタンドのあるコンビニを見つけひと休みしました。ここで食べたおにぎりと暖かい缶コーヒーの美味しさが記憶に残っています。
14時前、やっと苫小牧着。ここで思い出しました。北海道初日に定休日で食べられなかった「マルトマ食堂」。たしか営業時間14時までだった!! 急いでナビをセットし、ギリギリでたどり着きました。
マルトマ名物「ホッキ丼」メチャ美味しかったです!!!\(^0^)/
ここで撮影した愛車トライアンフ ボンネビルT100。ピッカピカのボンネビルもカッコいいけど、旅でいい感じに汚れたボンネビルもカッコいいです。(^_^)y-~~~~
腹も満たし何とか元気を取り戻し、ここで今夜の宿探しです。
当初は上士幌航空公園キャンプ場まで行ってキャンプというプランもあったのですが、疲れた体と悪天候でホテル泊に即決です。携帯で調べてみると帯広駅そばに「ホテルみのや 」という格安ホテル発見。すぐに予約し帯広に向け出発しました。でもここから先もきつかったです。(>_<)
17時頃、ホテル到着。疲れきった体でバイクを止めようとしてたら、同年代のおっさんに声をかけられました。どうやらバイカーらしいです。でもどうしても早くホテルにチェックインしたくて、けんもほろろな応対に。タイミングが悪かったとはいえ、やな奴です。自分は。
おっさんゴメン。m(_ _)m
近くのコインランドリーで濡れた衣類を乾かし、泥だらけの装備をメンテした後、街に繰り出しました。ちょっとそそられる屋台村みたいなのがあったのですが、一人じゃつまらなそうだったので、ザンギが美味しそうな居酒屋チェーン店へ。たしか「鳥せい」って名前だったと思う。もも肉が美味しかったです。
ほろ酔い気分でホテルに帰り、すぐに就寝。
~続く
7月27日<洞爺湖~室蘭~苫小牧~帯広>
2009年7月26日(日) 曇り 旅11日目 <札幌~小樽~積丹半島~洞爺湖>
11日目。毎度々で朝の天気は曇りです。
まずは、とりあえず札幌ということでがっかり名所で有名な札幌時計台へ。
やっぱりがっかり (>_<)
時計台の前にある喫茶店で一服
さて、小樽を目指して出発です。途中「石狩挽歌」で有名な石狩市を通り、10時前には小樽にたどり着きました。
初めての小樽は想像以上に素敵な場所でした。雰囲気的には横浜というよりは神戸に近いか。
天気が悪いのが残念ですが、小一時間ほどぶらりと散策し異国情緒を満喫しました。
11時過ぎに出発し積丹半島を目指します。¥0マップによると積丹半島はウニが名産との事。写真つきで紹介されていた「なぎさ食堂」でウニ丼を食べることに。
小雨降る中、なぎさ食堂に到着。早速生ウニ丼を注文しました!!
3時頃ニセコ駅着。ここで一休みしながら本日の宿探しです。温泉宿にでも泊まってゆっくり休みたいと思っていたのですが、どうも希望にかなう宿が見つかりません。少しエリアを拡げて探してみると、洞爺湖の洞爺観光ホテルで「広間(ライダールーム、相部屋)もちろん、温泉に入れます」という格安プランを発見!! すかさず予約完了です。
雨の中、一気に洞爺湖までひた走り16:30頃チェックイン。けっこう立派なホテルで温泉も入れるということですので期待大です! ライダールームの相部屋との事ですので交流もありかなと思っていたのですが…。
部屋に案内されるとこんな光景でした!! ('o')?nani?
かなりの大広間に布団がひとつ! 自分だけみたいです。かなりガックリ。
気を取り直して温泉に行くといろんな種類があってかなり楽しめました。
ゆっくり疲れを癒し、限定ビールで晩酌しました。(^_^)y-~~~~
天気も悪かったし、イマイチ印象に残らない一日でした。
疲れもあって9時過ぎには就寝。
~続く
7月26日<札幌~小樽~積丹半島~洞爺湖>
2009年7月25日(土) 曇り 旅10日目 <帯広~札幌>
10日目。朝の天気は相変わらずの曇りです。というより今にも雨が降ってきそうな天気 (*_*)
朝9時半にホテル出発。部屋が4階だったので荷物運びに手こずり出発が遅れてしまいました。
高速移動のため地図も確認せずナビ任せ。この事が後々大変な事態を引き起こします…。
道東自動車道の音更帯広ICから高速道に入り快調に札幌を目指しひた走ります。しかしものの10分も走ったあたりで天気が怪しくなってきました。小雨ですが霧がすごい! 走ってる車も少なく前方視界は最悪! ここで事故っても誰にも気がつかれないんじゃないかという言いようもない孤独感。高速道なのに!! そういえば以前行った四国の高速道もこんな感じだったな、なんて考えながら必死で走ってました。
そんなこんなでふとナビを見ると、明らかにおかしい! 高速道を走ってるはずなのに下道を走ってることになってる! そもそも高速道がナビ上に存在しない!! あっち曲がれこっち曲がれ、そしてリルートの繰り返し。これはナビはあてに出来ないとあきらめて標識を頼りに札幌を目指すことにしました。帰ってきてから調べたら、道東自動車道の十勝清水~トマム間が開通したのが2007年10月。格安ナビを購入したので地図データがかなり古かったみたいです。 (*_*)
標識を頼りに札幌を目指していたのですが、今度はいきなり高速道が終わってしまいました!!(#゚Д゚)コ
何で? 札幌までつながってないの?? 帯広という北海道ではかなりの大都市と札幌が高速道で結ばれていないというのは、自分的にはまったくの想定外な出来事でした。
結局トマムICで高速道から強制退去です。(T_T)
こちらも帰ってきてから調べたら、トマム~占冠間が開通したのがこの年の10月、ちょっと早かったみたいです。
トマムICで降りたはいいが、かなり寂しいところです。人はおろか車も通ってません。とりあえず地図でルートを確認し、国道136~237で日高峠を越えて274から札幌を目指すことに決定。そこからは雨が振ったり止んだりの中での霧深い峠越えでかなりきつい走りだったと記憶しています。
峠道を走りきり、274と夕張国道がクロスするセイコーマートもみじやまで一休みしてたら、見覚えのあるBMWが入ってきました。昨日、上士幌航空公園キャンプ場で会ったあのライダーです!! 「こういう偶然もあるんですね」と談笑しながら、昨日はこの方とキャンプすれば良かったと後悔しきり。彼は夕張にあるバイクキャンパーの間では超有名な「快速旅団」に行ったが今日は休みだったとの事。今ではもちろん知ってますが当時の自分は「快速旅団」のことをまったく知らなかったです。彼とはまたいつか北海道のどこかで会いたいな~。
せっかく夕張近辺まで来ているので、ちょっと寄り道して炭鉱の街、夕張方面に向かいました。夕張駅までひた走って戻ってくる途中「幸せの黄色いハンカチ」の看板が目に入りました。そうだ!夕張といえば「幸せの黄色いハンカチ」だ!! すぐに引き返したら「幸せの黄色いハンカチ」のロケ地が観光施設になっているようです。
武田鉄也と桃井かおりが乗ってた赤いファミリアだ!!
健さんよかったね~
つらい行程でしたが、ここで気持ちもやわらぎ再出発です。ここからは274で一気に札幌にたどり着きました。観光でもしたかったのですが、もうすでに17時を回ってます。今日の寝場所を確保しなければなりません。携帯で格安宿を調べるとすすきのに超格安2500円のホテル発見!!「ドミトリー形式」なにそれ? わけも分からず予約完了。ナビを頼りにまたも迷いに迷いながらすすきののホテル「サッポロインNADA」にたどり着きました。
チェックインすると分かりました。「ドミトリー形式」。相部屋のことですね。まあ、1泊位どうでもいいやと部屋に入ってみると…。
汗臭い…
ものすごい異臭!! 部屋には誰もいなかったのですが、どうも外人がルームメイトみたいです。理解しました。このホテルは外人のバックパッカーたちが長期滞在する系のホテルでした。だから「ドミトリー」なんて訳の分からない英語使ってたんだ。
早々、ホテルをあとにして、北海道一の大歓楽街「すすきの」へ!!。とその前に重要なミッションを忘れるところでした。メガネです。メガネを買いに自分はこの札幌に来たんです。札幌駅前にある駅ビルで無事メガネ購入完了。さすがチェーン店でした。すぐに横浜のいつも買ってる店に連絡を取って、短時間で仕上げてくれました。クーレンズありがとう!
札幌駅近辺を探索。北海道はKitakaでした。そして待望の初「すすきの」!!
とはいっても、自分はさすらいの旅ライダー。出張で来たサラリーマンとは違います。…..。
正直言いいます。遊ぶ金がもったいないです。結局すすきの歓楽街を一回りしラーメン食べて帰りました。
でも、すすきのは東京や名古屋の歓楽街が以前の賑わいを失っているのに比べ、何か活気があって気持ち良かったです。以前行った仙台の国分町の賑わいを思い出しました。歩いてたお姉ちゃんも浴衣姿で抜群に可愛いかったです。(ノ´∀`*)マターリ
で、ホテルに帰ってシャワー浴びて、外人の質問に「アイムヨコハマライダー!」と答えて振り切り、寝ました。
~続く
7月25日<帯広~札幌>
9日目。朝の天気は曇りです。
この日は特に予定は考えてなかったのですが、朝一ですぐ近くにある有名ポイント「ナイタイ高原」に行ってきました。さすがに0円マップにも大きく取り上げられているだけあって、北海道のドデカさを肌で感じることが出来ました。
入り口の看板を曲がり、坂を上りきったところの光景は、正に雲の上を走ってるかのような錯覚を覚えます。
展望台は残念ながら雲に覆われて、いまいちな景観。
このナイタイ高原は、自分的超お気に入りポイントになり、結局帰るまでにあと2回来ることになります。
さて、腹も減ってきたので、昨日足寄を走ってたときにちょっと気になってたお店に行くことに。
「プチレスト鷹の巣」というお店で、鹿の肉を使った鹿丼が有名らしい。
鹿丼はちょっとスジが固くてイマイチでした。 ジャンジャン!
腹ごしらえもしてキャンプ場に戻ってくると、またもや雲行きが怪しくなってきました。
もうこのキャンプ場も3日目です。いい加減今後の日程を決めなくてはなりません。
携帯で週間天気予報を確認すると、完全な下り坂。特に今夜は帯広地区は豪雨になる可能性大との事!!
考えました。このまま当初の予定通りオロロンラインを目指しても、悪天候は確実。それならば自分的にはあまりメインではない道央方面の積丹半島あたりを先に回ってしまうのはどうだろう?
決まりです。今日は豪雨になりそうなので、ここを引き上げて帯広でホテルに泊まろう。そして明日から札幌、小樽を通って積丹半島~ニセコ~洞爺湖あたりを回ろう。このプランに決定です。
そうと決まれば、早速撤収です。周りを見渡せば自分以外のキャンパーはすでに全員出発済みで、自分が最後みたいです。
で、何とか撤収作業が片付いたところに、1台のバイクが登場。フルキャンプ仕様のBMWです。
話してみると彼も今夜はキャンプにするか迷っているとの事。もう少し早く現れてくれれば一緒にキャンプしてもよかったのですが、ちょうど撤収作業が終了したところだったため、ここでお別れすることに。
結局その夜の雨はそれほどではなかったため、彼とここでキャンプしたほうが楽しかっただろうな。これは残念な夜でした。
帯広まで一気に走り、携帯で予約した「帯広グランドホテル」に到着へ。無事チェックイン。
夕飯は帯広駅前にある豚丼の超有名店「はんちょう」へ。
こいつはとてつもなく美味しかったです!
ホテルに戻り、旅の予定を確認します。実は今日キャンプ場の駐車場にメガネを忘れてしまい、しばらく走っているうちに気付いて(メガネなしでも走れることは走れる)引き返したのですが見つからなかった。という事件がありまして、メガネをどうする?というのも重要課題です。帯広駅周辺のメガネ屋さんも探してみたのですが、自分がいつも買ってるような5000円位のやつは見つかりませんでした。
携帯で調べてみると、自分がいつも買ってるメガネ屋さんのチェーン店が札幌にあることを発見。ここなら横浜の店のデータを確認できるだろうから、面倒な検査とかもしないで買えそうだ。よし、まず札幌に行ってメガネを買おう。これが明日のミッションです。
そうと決まればビール飲んで寝るのみ。就寝。
~続く
7月24日<上士幌~ナイタイ高原~帯広>
2009年7月23日(木) 曇り 旅8日目 <上士幌~帯広~足寄~上士幌>
8日目。朝の天気は曇りです。
ここからの日程は、北上し三国峠を通って旭川、留萌、そしてメインのオロロンラインというルートを想定していたのですが、あいにくここからしばらくは雨続きの週間予報。
普通の旅なら少々の雨でもあきらめて予定通りの日程をこなすのでしょうが、そこはまったく帰る日を決めていないお気楽旅。考えるのもめんどくさくなってきたので、今日は壊れているヘッドライトを直しに帯広のレッドバロンに行くことにしました。
帯広までは1時間ほどで到着し迷いながらもレッドバロン発見。早速直してもらおうとしたのですが、レッドバロンは会員制でレッドバロンで購入したバイク以外は基本的には取り扱いできないとの事...。
ですが、困っている自分を哀れに思ったのか、特別に対応していただけるとの事!
ありがとう! レッドバロン!
実はこの後にもレッドバロンには助けられたこともあって、今度バイクを買うときは絶対レッドバロンと心に決めた私であります。
無事ヘッドライトを直してもらい、軽く帯広を観光走りして上士幌へ帰ってきました。
ですが、まだ昼過ぎで天気も回復基調。もうひとっ走りすんべと今度は足寄方面を目指して出発です。
足寄湖を目指し国道241を快適に走ります。最高です。正に北海道といった感じの牧草地帯に直線道路。車も少ないし信号もない。天気もほぼ快晴で、Tシャツ1枚で走りを存分に楽しませていただきました。ずっと走っていたい気分だったので足寄湖手前でUターン。ここはネズミ地帯みたいなので、気をつけながらのんびりと帰ってきました。
後はひとっ風呂浴びてビールとセイコマのジンギスカンで乾杯。
回りはファミリーばかりでバイカーもいないのでさっさと寝ちゃいました。でもいい一日だった。
PS.この日はほとんど写真を撮ってないみたいです...。
~続く
7月23日<上士幌~帯広~足寄~上士幌>
2009年7月22日(水) 雨 旅7日目 <浦河~上士幌>
7日目。朝の天気は雨です。
昨日は予定の襟裳岬までたどり着けなかったため、まずはここを目指します。
走っているうちに曇りながらも雨が止んで一安心。快調に飛ばして昼前には襟裳岬に到着です。
襟裳岬は森進一の「襟裳岬」がずっと流れてると聞いていたのですが、なぜか流れてなかったです。
アザラシも見えなかったし、まあ、こんなもんだろうといったところ。
ここからは、海沿いの国道336、通称「黄金道路」を通ってから帯広へ。そこから上士幌にある航空公園キャンプ場を目指します。この黄金道路は、黄金を敷き詰められるほど建設に莫大な費用を投じ、断崖を切り開く難工事の末に開通したことが名称の由来らしいです。
海岸沿いの絶壁を軽快に走っていたのですが、
「寒い!」
そうなんです。この2009年7月の北海道は、過去に例のないほどの冷夏に見舞われておりました。
ロンTの上にTシャツ、さらに長袖のアロハ(厚手の綿素材)、MA1ジャケット、雨具の上ジャケットまで着込んでも寒くて体がコチコチになっていきます。道路の電光掲示板に表示されていた気温は17度。
これ夏じゃないよ...。
しばらく走ると道路沿いに、可愛らしくも立派な滝を発見。「フンベの滝」です。
黄金道路を抜け、内陸に入ったのですが寒くて寒くてしょうがありません。
途中、道の駅コスモール大樹にて小休止。併設されているショッピングセンターで上着を探してみました。しかし、いかにも田舎の洋服やといった雰囲気の店ばかりです。あきらめ半分で覗いてみたところ、なんとありました!
フリースジャケット¥1980。真夏になぜフリースジャケットが売られていたのかは不明ですが、試着してみるとジャストサイズ!即購入です。
このジャケットは、その後のキャンプ場での上着として大活躍!さらに帰ってきてからもキャンプ場でいまだ健在です。いい買い物でした。
さて出発しようと思ったのですが、ちょっと腹がへってきたので周りを見渡すと。ありました中華料理屋さんっぽい店がすぐ前にあります。
入ってみると、中華料理屋さんというより定食屋さんでした。メニューを見ると「豚丼」がある!。十勝名産「豚丼」はいちど食べてみたかったので注文してみました。
おいしかったです。写真は撮り忘れましたが、吉*屋等にある豚丼とは全く違ったもので、厚手の豚肉に甘辛のタレがかかってメチャ旨でした。
腹も満たし、フリースジャケットはメチャあったかい! 気持ちも新たに上士幌を目指します。
途中、子供の頃大ブームになった「幸福駅」で寄り道。
定番の「幸福行きの切符」を買いました。
さらに帯広を抜け、「道の駅 ピア21しほろ」到着。
お決まりのアングルで初ソフト。
ここまで来れば目的地の上士幌航空公園キャンプ場までは目と鼻の先です。
のはずだったのですが、格安で入手したナビは、近くまではちゃんと案内してくれるのですが、最後の詰めが甘いです。何とか迷いながらも17時頃キャンプ場にたどり着きました。まだ7月ということもあってか、バイクは数台しかおらずちょっと寂しい感じ。
すぐに設営開始。といってもキャンプは4年ぶりです。テントの設営方法もすっかり忘れてしまってたので、解説書を見ながら小一時間かけて、やっと形になりました。
タープも持っていったのですが、コールマンのSTは思っていたより前室が広く、ここにイスを入れればテント内で十分居住できそうでしたので、使用中止です。
そんなこんなで、時間を見ると18時半位になっていました。
来る時に入浴施設と買出し用のセイコマ(セイコーマートの略、北海道ではコンビニと言えば1番はセイコマです)をチェックしていたので急いで向かいます。
バイクで5分位の所にある「ふれあいプラザ」でゆっくり入浴。その後セイコマに向かったのですが、ここで異変に気がつきました。
「ライトが暗い!」
ヘッドライトのメインの方の電球が切れてるみたいです。今まで夜は走ってなかったので、いつから切れていたのかは分かりませんが、セイコマまでは市街地ですので問題ありませんでした。ビールと食料を補充し、キャンプ場へ戻ります。
が、迷っちゃいました...。
街灯もなく真っ暗な上、ヘッドライトもほぼ点いていない状況です。しかもついてない事に、近くなので必要ないと思ってナビも置いてきちゃったし、めちゃくちゃ軽装で来てしまったので寒い...。
その内、熊が飛び出してきそうな細い道に入り込んでしまい、あっちに行ったりこっちに行ったり...。このまま遭難か!!と思ったところでふと横を見ると、かすかにランタン系の明かりが...。
何とか奇跡的に帰ってくることができました。時計を見ると1時間位さ迷ってたみたいです...。
キャンプ場ではバイカー同士の語り合いをと思っていたのですが、何か疲れ果てて、飯&ビールですぐ寝ちゃいました。
~続く
7月22日<浦川~上士幌>
フェリーで迎えた6日目。朝の天気は曇りです。
ゆっくり寝てしまったため、あっという間に到着時刻の11時です。何とか天気が回復することを祈りながらフェリーを降りました。
今日の予定は、ネットからパクらせていただいた「何となく行程表」に基づき、襟裳岬に行ってから百人浜オートキャンプ場にて今回初キャンプです。
でも、まずは腹ごしらえ。¥0マップでチェックしていたホッキ丼で有名な「マルトマ食堂」を目指します。
マップ上では5分位で着きそうな場所ですが、迷いに迷って30分以上かけてやっと発見。
ですが...。定休日でした...。
まあ、旅は長いんでまた来ればいいや。と気持ちを切り替え再出発。
しばらく走るとナビが高速道路に入れと指示してます。
高速は使わないルート設定にしてたのにおかしいなと思いながらも面倒なので乗っちゃいましたが、走ってる内に理由が分かりました。日高自動車道路は無料区間があるため、銭がかからなければいいんじゃないって判断らしいです...。
と考えてると、急に雨足が強まってきました。ですが不思議とあまり不快感がありません。
いつの間にか経験のないロングな直線道路に夢中になっていました。
厚真インターで高速を降りるとコンビニがあったため小休止。おにぎりとコーヒーで腹ごしらえをし、国道235(浦河国道)で襟裳岬を目指します。
しばらく走ると写真で見たことのあるような、北海道っぽい牧場地帯になりました。と言うより、どこまで行っても次から次へと牧場だらけです。でも牛じゃなくて馬ばかり。ここで気がつきました。「浦河って、そうか、サラブレッドで有名なあの浦河か!」
だんだん天気が回復してきたので、新冠八景という公園みたいなところで雨具から着替えることに。
ここで着替えている時、何か気持ちがグルリと切り替わったのを今でも覚えています。
今までは転倒のこともあり、何か気持ちが乗らないっていうか、旅を心から楽しんでいない状態でした。
ですが、北海道ならではの直線道路、牧草地帯。それに何より、本州ではとうの昔に絶滅したバイカー同士のすれ違いざまピースサインをほとんどのライダーがしてくれること。みんな楽しそうで心から旅を楽しんでいる様でした。
自分はもしかしたら特別な時間を今過ごしているのかもしれない。バイクで旅をするという昔からの夢を、バイカーの聖地である北海道で実現しているという事に気づいて、何かものすごく気持ちが高揚してきました。
着替え終わって牧場地帯を見渡すとすばらしい光景が広がっていました。
「信号が全然ない!」
今から考えれば北海道に信号が少ないことは常識ですが、この時は北海道に関する基礎知識はほぼゼロ。普通に感動してました。
でもこの基礎知識がないゆえに、目の前の出来事に自然に感動できた事は、このあと続いた旅含め、かえって幸運だったと今は思ってます。
で、襟裳岬を目指してましたが、ちょっと遠すぎたみたいです。浦河駅のあたりでまた雨足が強まってきました。日も暮れてきたので、今から襟裳岬を見てキャンプ場というのは難しいと判断し、このあたりでホテル探しです。
~続く
7月21日<苫小牧~浦川>
2009年7月18日(土) 雨 旅3日目 <会津若松~仙台>
まずは今夜の宿探し。じゃらんで探しましたが仙台駅周辺はさすがに大都市、空き室はありません。しょうがなく仙台郊外の多賀城市のホテルで2日間予約しました(小野屋ホテル)。久々に仙台観光がしたかったのと、ゆっくり考える時間が欲しかったからです。
大雨の中、面倒だったので東北自動車道を使いいっきに仙台まで移動。まだ雨の日のナビの使い方に慣れていなかったため仙台駅周辺で迷いに迷いましたが、昼過ぎには多賀城に着きました。
早速チェックインを済ませ、来るとき目をつけておいたネットカフェ「スーパーフリークス」を目指します。
ここで久々のPCを前にじっくり考えました。
このまま旅を続けるのか?
実はこの3年位前に四国・九州をツーリングしたことがあります。この時も時間の許す限りゆっくり旅をしようと考えていたのですが、1週間目位に九州で巨大台風が接近。足止めを食らい、とりあえずで一度帰ってしまったことがあります。帰ると決めた時は「またすぐ出直せばいいや」と考えていたのですが、一度帰ってしまうと中々出直すことはありません。結局そのままになってしまったという苦い経験がありました。
「ここで帰ったらまた同じ事の繰り返しだ」
旅を続けることにしました。ただ、当初の東北をゆっくり旅してから北海道に上陸というプランはやめて、すぐに北海道に渡ろうと決めました。
そうなると、まず現状コケ問題解決、北海道に渡るためのプラン、その後のプランを決めなくてはなりません。
★まず、コケ問題。
なぜコケるのか? → 積載走行に慣れていないため
どうすればコケないか → 常に積載を意識し注意する、荷物を減らす
ホテルに帰ってから再度装備を見直し、必要ないものはここから実家に送り返すことにしました。
★北海道に渡るには?
ネットで調べてみたら、なんとこの多賀城市には北海道へ渡る仙台港があった!ホテルから仙台港までバイクで10分位です! これは神のお導きか! すぐに翌々日の19時位出港のフェリーを予約しました。
★北海道(苫小牧港)に着いてからどこに行く?
まったく基礎知識がないため(地図を見ても札幌しか分からないレベル)、ネットで北海道ツーリングをした方のツーレポを読みました。その中から長期間で、北海道全般をフォローしてそうな行程をパクらせてていただくことにしました。地図にその道筋を書き込んで「何となく行程表」の完成です。
帰りに本屋さんで「¥0マップ北海道」を買って、オロロンラインや宗谷岬がライダー人気の場所だと知りました。これでだいたい北海道ツーリングのイメージがつかめました。
この日はホテルでゆっくりし、翌日は仙台観光の予定です。
2009年7月19日(日) 曇り 旅4日目 <仙台>
4日目の朝。天気は曇りです。
この日はゆっくり仙台観光でもしようかと思っていたのですが、その前に2度の転倒で傷を負ったトライアンフを直してやることにしました。といっても自力では無理そうなので携帯で探したところ、正規ディーラーを発見。バイクで小一時間だったので行ってみることに。
迷いながらも何とか到着。曲がったブレーキレバーを直してもらい、さらに新品をつけてもらいました。直したレバーは予備です。ここにお客さんとして来てた方が、ついこの前まで北海道に行っていたとの事。さっそく情報収集すると、今年の北海道は過去にない程の冷夏でとてつもなく寒かったらしい。この時は「そうか寒いんだ」くらいに聞き流していたのですが、後になってそれを嫌ほど思い知らされるとはこの時は思いもしませんでした。
修理をしてファミレスでのんびりしてたらもう3時。観光はあきらめてホテルへ。戻ってから装備の再確認を行い最低限必要なもの以外は宅急便で実家に送り返しました。これでかなり積載が軽くなりました。その後ゆっくり風呂につかってから、近場の焼肉屋さんでひとり焼肉。ほろ酔い気分で1日終了。
2009年7月20日(月) 晴れ 旅5日目 <仙台>
5日目の朝。天気は晴れです。
今日はいよいよ北海道へ渡るフェリーに乗船する日です。といっても出港は19時のためほぼ1日自由に使えます。
まずは仙台といえば牛タン! 昨日ネットカフェのまん前に牛タンの超有名店「利休」を発見してしまいました。
開店前に行ったのですが、すでに行列。30分ほどでやっと牛タンにありつけました。
うまかった。その一言にすべて凝縮。
さて観光です。仙台駅周辺は以前行ったことがあるので、ここは日本三景のひとつである松島に行くことに。
ですが3連休の3日目、観光地へ向かう道路は激混みです。バイクなのですり抜けをしながら進むのですが、それでも渋滞に阻まれます。あと少しで着くという所で、暑さとイライラで力尽きました。
あきらめてわき道の温泉施設の駐車場に止めたところ異変に気がつきました。
積載してた荷物が振動で後ろに下がり、テールランプに覆いかぶさっており、プラスティックのテールランプカバーは熱が溜まりグニャーと溶けてました。(*_*)
ガックリしながらも工具を取り出し、キャンプ用の小型トーチであぶりながら何とか整形。
気分もダウナーだったため、多賀城に戻って出港まではネットカフェでマッタリすることにしました。帰りにちょっとだけ松島の美しい島々を見ることができラッキー。
ネットカフェでマッタリしてたらいよいよ出港の時間が近づいてきました。なんだかんだ言いながら、とうとう北海道です。気持ちもちょっとだけ上がってきました。
フェリーは「いしかり」という名前でした。ライブショーや映画上映があり、翌日11時到着までは暇を持て余すことなく過ごせた記憶があります。
~続く
7月18日<会津若松~仙台>
この日の予定は、昨日は宇都宮で餃子を食べたので、今度は喜多方で本場の喜多方ラーメンを食べよう。その後の事は食べてから決めよう。と、かなりアバウトなものでした。
朝8時頃出発。しばらく走ると大きな湖。
たぶん川治湖もしくは五十里湖のどちらかだと思うのですが、記憶があいまいです。(^_^;
喜多方までの道のりは、かなり奥深い山道を走る感じで、すれ違う車はおろか人数もまばらです。
ここでまた事件が起こりました。
ガソリンが心配になってきたので、スタンドを探しながら走っていたのですが、走っても走っても山道ばかりで一向にスタンドらしきものは見つかりません。あきらめてナビで検索しようと脇に停車し、跨ったままナビを操作しようとした時ちょっとだけ腰が浮きました。
コケました...。
旅始まって2日目にして2回目の転倒です。ちょっと心が折れました。(ToT)
急いで起こそうとしましたが、今回は助けてくれる人いません。荷物をすべて降ろし引き起こしましたが、ウィンカーレンズの破損とヘッドランプのステーがひん曲がってました...。
とりあえず走行上に不備はないので、また気持ちを切り替えて再出発です。
しばらく走ると何でもないようにガソリンスタンドに遭遇。しかもガソリンは半分以上残ってました...。
「まあ、こんな日もあるさ」と走り出してすぐ気がつきました。「メガネしてない...」
先ほど転倒したところに忘れてきたみたいです...。急いで戻ると、メガネ発見!!
さて、再々度気持ちを切り替え出発しようとしたところ、ポツリポツリと雨が降り出しました...。
まあ、ポツリ程度なため、雨具には着替えずそのまま出発しました。
しばらく走ると本降りに...
もうここまでついてないと、淡々と雨具に着替えて喜多方ラーメンを目指します。
土砂降りの中、何とか18時頃喜多方到着。
ゆっくりおいしそうな店を探そうと思ってたのですが、もう面倒くさくなってたのでチェーン店っぽい店に入り喜多方ラーメン食べました。
まあ、それなりの味でした。(^_^;
ここで、今後の予定を考えました。
今日は大変な1日でした。当初の計画では、本州でノンビリ下道を走り、東北の初夏を堪能してから北海道に上陸しようと考えていたのですが、出だし2日で2回の転倒。トライアンフ購入から6年で転倒は1回だけです。それもスタンドを出し忘れたという単純なミスです。それが2日で2回。やはり積載しての走りにまったく慣れていないため注意不足になっているためだと自覚しました。
このまま旅を続けて大丈夫なのだろうか?
何か自信がなくなってきました...。
考えた結果、今日はこのあたりで泊まり、明日仙台まで行ってゆっくり今後の事を考えることにしました。
すぐに会津若松駅そばのホテルを予約し、宿を取りました(アルファーワン会津若松)。
~続く
2009年7月16日(木) 快晴 旅1日目 <横浜~鬼怒川温泉>
準備不足の中迎えた出発の日。
この日のためにディーラーで整備していただき、タイヤも新品!天気も快晴とツーリング日和なのですが、いまいち気持ちが盛り上がりません。仕事から帰ってから夜な夜な準備をしてたもんで、行く前からちょっと疲れてたのかもしれません。
まあ、行きたくて行きたくて決めた旅というよりは、単なる思い付きで決めた旅なので、それほどテンションも上がってなかったのだと思います。
そんなこんなで7時頃出発です。
自宅の横浜から、まずは下道で宇都宮を目指します。
宇都宮ではかねてから行きたかった、有名店「みんみん」で餃子を食べる事がファーストミッションです。
パッキングに慣れていなかったため、途中荷台に積んだモンベルのドライサックが振動でどんどん前方に移動してきたりと、何度か積み直しながら、昼前に何とか宇都宮にたどり着きました。
さすが全国的有名店。パリッパリッで美味でした。 (^_^)V
しかしこの直後、最初の事件が!
交差点で右折しようとしたら、突然前方の駐車場から車が!!
あわててブレーキをかけたのですが、ハンドルはすでにかなりの角度で右を向いています。何とか踏ん張ったのですが耐え切れず、右にコテン!! 通常なら耐えられたのでしょうが、荷物満載のボンネビルは思ったより扱いが大変でした。
さて、起こそうとしたのですが、これまた荷物満載のボンネビルはなかなか立ち上がってくれません。幸いな事に後ろを走っていたのがクロネコヤマトのトラックで、屈強なおにいさんが助けてくれて何とか立ち上げる事が出来ました。
被害はブレーキレバーがひん曲がったくらいで助かったのですが、ちょっと気持ちが折れました。
近くのファミレスで曲がったレバーを直してから、気持ちを整えながら、今日はどこに泊まるかの検討です。
思わぬアクシデントでもう2時位になってたのと、気持ちが折れてたので近場の鬼怒川温泉あたりの宿を探す事にしました。早速じゃらんで格安宿を見つけ、再出発です。
鬼怒川温泉までの距離は約50キロ。ノンビリ走って1時間半ほどで到着です。
ちょっと早すぎるので日光方面を目指ししばしプチツーリング。
いろは坂を通り、久々に中禅寺湖にやってきました。
そんなこんなで日も暮れて、今夜の宿です(渓流沿いの宿 佳祥坊福松)。
鬼怒川温泉は閑散として人がぜんぜんいませんでした。
でも部屋はシングル料金のツインで、広々としてラッキー (*゚ー゚)
疲れてたのですぐに就寝。
~続く
行き先はどこでもよかったのですが、自分は基本西の方が好きなため、当初四国・九州に行こうかと思ってたのですが、ここは以前走ったことがあるため、特に意味もなくプライベートでは行った事のない北海道に決めました。
今から思えば北海道はライダーの聖地。翌年の2010年に行った時はもちろんそれを認識しての旅だったのですが、この時はバイクで北海道を走るといった基本知識ゼロ。地図を見ても札幌くらいしか場所が分からないほどでした。
本来、まずこのあたりから調べるのが普通なのでしょうが、道具好きの自分はモノ揃えから始めちゃいました。(笑)
キャンプ道具は以前の四国・九州ツーリングに行った時に一通りは揃えたのですが、追加で必要な物を考えて揃えるのに結構時間がかかってしまいました。そのため十分な下調べもなく、というよりまったく地理的に調べることなく出発の日を迎えちゃいました。
とりあえず決めてたのは、高速は使わず下道でノンビリ青森県の大間まで行ってフェリーで北海道へ上陸しようという事だけです。(実際は仙台からフェリーに乗った)
まあ、この日のために買ったナビがあれば何とかなるだろうと気楽なもんです。
~続く